2022年4月10日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第79回「ヨハネの黙示録11章5〜6節」
(17/3/26)(その1)
5〜6節「この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、
その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこ
のように殺される。彼らには、預言している間ずっと雨が降らないように天を
閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、
あらゆる災いを地に及ぼすことができる。」
いよいよ黙示録も佳境に入ってきました。
「二人の証人」の話の続きです。
神ないしイエスが、第七の封印の第七のラッパ吹きを前にして、いよいよ終局
間近となって、二人の証人を立て、1260日の間、すなわち終末のときまで、預
言活動をさせることとしました。
そして、11章3節〜13節に、この二人の預言者の預言活動の顛末が記されて
います。
しかし、この二人の証人とは一体だれなので、だれに対して何の預言をする
のか、それが前回のテーマでした。
そして、それは、もうすでにある天の神殿に集う人々が、これは、キリスト
に贖われてすでに天に上げられたクリスチャンですが、その人々が、終局の試
練において、救いからこぼれ無いように、抜け落ちないようにするためのもの
でした。
この天の神殿も、終末の時選り分けられて、本当に残るものが選別されよう
としています。それは、先取りすると、21章の「新しいエルサレム」の降下と
いうかたちで成就するのですが、ここでの二人の証人は、その新しいエルサレ
ム建設に際して、この神殿にクリスチャンが残れるようにするために、遣わさ
れたのです。
その詳細は、これから触れることとなりますが、天の神殿でも殉教が起こり、
そして天のエルサレムでも「異邦人」による蹂躙が行なわれることとなるので
す。これはわたしたちの常識を超えた驚くべきことですが、終わりに近づけば
近づくほど、神の敵対勢力の力は強まり、その力は天にまで及ぶのです。そし
て、教会の中でも、贖われた者の中でも、救いから漏れてしまう者が出るので
す。
しかし、神はそのことを、大いに心痛めて、心配しておられ、預言者には異
例の、悔い改めのしるしである「粗布」をまとわせ、ゼカリヤ書の預言活動に
おいては、オリーブ二本だけであったものを、燭台二本としての使命をも担わ
せ、イエスにより近い者として、この二人を遣わされます。
さて、それではこの二人がだれか、と言うことは、先週申し上げたように、
それは無名の預言者でも、教会全体でもいいので、詮索することにあまり意味
はないので、早速、この「二人」の預言者の預言活動の内容に入ってまいりま
しょう。
5〜6節「この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、
その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこ
のように殺される。彼らには、預言している間ずっと雨が降らないように天を
閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、
あらゆる災いを地に及ぼすことができる。」
旧約聖書以来、預言者と言う者は、神の言葉を預かる、ないしは予告するこ
とによって、対象となる人々に、悔い改めを迫り、ある時は希望を与え、神に
立ち帰るように訴えてきました。
という我々の「預言者像」のイメージから言うと、この5〜6節の「二人の」
預言者の活動の記録は異常です。
なぜなら、言葉による預言活動に一切触れられることなく、いきなり「この
二人に害を加えようとする者があれば」と言う言葉が、それも、二度も繰り返
して述べられているからです。確かに、エリヤもエリシャも他の預言者も迫害
を受けました。しかしそれは、その預言の言葉が人々にあまりにも厳しかった
からで、人々が最初から敵意を抱いていたわけではありません。これはいった
いどうしたことなのでしょうか。
更に二点、この記述が異常である点について触れます。
(この項、続く)
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