2022年3月20日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第77回「ヨハネの黙示録11章2節」
(17/3/12)(その2)
(承前)

 ところで、この地上の神殿、ヘロデが再建したエルサレムの神殿は、どのよ
うな仕組みになっていたのでしょうか。大まかなところだけでも見ておきま
しょう。
 まず内庭は、いくつかに細かく分かれてはいましたが、ユダヤ人だけが入る
ことがゆるされていました。そして、ちょうど胸の高さの石の壁を隔てて外と
分けられていたのです。これが、エフェソ2:14で言うところの「隔ての壁
(中垣)」です。そして、その壁には、ギリシャ語またラテン語で「異邦人に
して、この壁を通り過ぎる者は死に至る」と記されていました。
 この壁の外側は後に「異邦人の庭」と呼ばれるようになった、と言われてい
ます。しかし、「ミシュナー」や「ヨセフス」にはその名はなく、そこは「聖
所」とはみなされていなかったことが明らかです。
 その現実のエルサレム神殿の外庭が、A,D.70年のユダヤ戦争の時、中に
立てこもった「ゼーロータイ」の預言者によれば、42カ月の間、ローマ軍に
よって踏みにじられる、しかし、神殿本体、神殿の内側は破壊されない、と預
言されたのでした。
 しかし、実際には、先週申し上げた通りに、外庭どころか、内庭も、そして
エルサレム全体が破壊され、蹂躙されてしまったのです。
 そしてそれに対して、天の神殿においては、内側は、滅びることなく、世界
の滅びに際しても、そこで礼拝する者は救われる、との約束をいただいている
ことを、申し上げました。
 しかし、今日のみ言葉は、神殿の外庭にいて、その救いから漏れる人もいる
ことを告げています。それでは、神殿の外庭にいて、その救いから漏れる人と
はだれのことなのでしょうか。その点を考察してまいりましょう。
 その前に、天の神殿で礼拝している人とは一体誰のことなのでしょうか。ユ
ダヤ教徒にして救われるべき人は、既に刻印を押されていますし、殉教者は、
これもすでに最後の救いに入れられることを保証されています。それでは一体
だれが、…
 ここで私たちは、11:1~13の部分が、見者ヨハネが呑み込んだ小さな巻物
に関わる預言、見者ヨハネ自身に関わる預言であることを思い起こしたい、と
思います。
 振り返ってみると、見者ヨハネが初めて「見者」としての召命を受けた後、
最初の仕事は、実は、天の幻を見ることではなく、7つの教会への手紙を託さ
れたことでした。幻を見、その幻を見ることも間もなく終わろうとしています
が、それも、そもそもは、第一には、7つの教会によって代表される教会に伝
えるためだったのではないでしょうか。
 そして、教会は、そして教会に連なる人は、見者ヨハネも実はその一人なの
ですが、この終わりの時にどのような運命をたどるのでしょうか。
 それが、今、ヨハネの黙示録において初めて明らかにされているのです。
教会に連なる人は、イエス・キリストの贖いにより、既に天に上げられて、そ
この神殿で、天の神殿で礼拝に与る恵みに与っているのです。そのことが今、
はっきり明らかになったのです。
 しかし、見者ヨハネが天の神殿とそこに礼拝する人の計測を命じられ、そし
て外にいる人の計測を禁じられたように、これから起こること、最後の試練に
おいて、振り分けられる、うっかりすると、庇護から漏れて、「放っておかれ
る」可能性もある、ということなのではないでしょうか。
 まだ、神に敵対する諸力は残っており、その力はあまりに大きく、強大です
から、それが、ここで言う「異邦人」です、それとの戦いは大変に厳しいもの
となることが予測されますが、それとの戦い抜きには、神の国に到達すること
はできない、いや、神の国が完成することはない、ということです。
 しかし、神殿の内側にいれば、神と共にある者には、ユダヤ戦争の場合と
違って、完全な庇護が保証されていることも忘れてはなりません。

(この項、完)



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