2022年3月6日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第76回「ヨハネの黙示録11章1節」
(17/3/5)(その2)
(承前)

 「見者ヨハネ」のお仕事は、10章7節までは、その名のとおり、「見ること」、
見た幻を書き留めることでした。(1:10)しかし、ここで仕事が与えられま
した。
 彼の預言者としての初仕事が、今日のここのところなのです。
それは何か。それが、もちろん「天の」ですが、神殿と祭壇のサイズを測り、
そしてそこ(天の神殿)で礼拝している人たちの数を数えることだったので
す。
 まず、神殿と祭壇のサイズ測りです。
そのために、彼には物差しが与えられました。「物差し」と訳されていますが、
原語は「カラモス」と言い、そもそもは「葦」の意味です。葦の棒を物差し代
わりに用いたので、「物差し」の意味になったのでしょう。それが「杖のよう
な」と言うのですから、かなり長い物差しだったことでしょう。それで測れ、
 というのが、預言者ヨハネに与えられた神の御命令でした。
ふつう私たちが建物のサイズを測るのは、私の父は建物でも地面でも測るのが
大好きで、いつも巻尺を持ち歩いていましたが、それは図面を作るためです。
そして、図面を作るのは、壊すか、再建するか、部分的に保存するか、のどれ
かではないでしょうか。
 聖書の世界でもそれは全く同じでして、神が「測れ」と命じられる時、それ
を壊すか、再建するか、部分的に保存するか、どれかの意図があってなされる
ことでした。
 まず、「壊す」ですが、列王記下21:13ですが、神は預言者の口を通して、
これは「測り縄」ですが、でエルサレムを測るように言われました。それは、
エルサレムを破壊される、というご意図だったのです。
 「再建」について言えば、預言者エゼキエルは、幻の中で、神殿の幻を見さ
せられ、そこを「天使」が、測り竿や麻縄で測るのを見させられました。それ
は、もう滅びてしまったエルサレムの神殿を神が再建される意思を示されるた
めだったのです。
 そして、最後の「部分保存」ですが、Ⅱサム8:2、これは、神ご自身の
ケースではないのですが、ダビデ王の仕業ですが、モアブ人を測り縄で測り、
半分を生かし、半分を殺したという逸話です。
 で、神は、見者にして預言者ヨハネに、壊すか、再建するか、部分的に保存
するか、どのために天の神殿の測量をお命じになられたのでしょうか。
 それは、結論から先に言えば、部分的に保存する、そのためであった、と考
えられるのです。
 天の神殿ですから、今更、壊したり、再建したりする必要はないわけです。
そして、これから世界が、破滅に向かうとする中で、その天の神殿で、どの部
分が残り、そしてどの部分が残されるのか、そして、その天の神殿に集う人々
の中で、どの人々が残されるのか、を、神さまは、この測量と数え上げを持って
示されようとしたのではないのでしょうか。
 そして、今日の部分の結論としては、少なくとも、神殿の中と、そこで礼拝
している人々は残される、という「喜び」の結論が用意されていることが分
かったのです。
 ところで、実は、この天の神殿計測の預言の背景には、悲しい事実がありま
した。
 紀元後70年、この年が何の年であるかは、もうすでに皆さまご存知のことと
思います。ローマ軍に包囲されたエルサレムの町は全滅し、その中に立てこ
もった人々も全滅した年です。この年に、全滅の直前に、立てこもった人々の
中に預言者がおりまして、この人々は、「ゼーロータイ」というグループに属
する者たちでしたが、「エルサレムの神殿の外庭と町々は崩壊する。しかし、
立てこもっている『我ら』ゼーロータイは生き延びることができる、と預言し
たらしいのです。でも、この預言は外れ、神殿も人もだれ一人生き延びた者は
おりませんでした。
 一方、天の神殿については、「神殿の中と、そこで礼拝している人々は残さ
れる」という預言が「見者にして預言者ヨハネ」に与えられた、ということな
のです。
 これが、これこそが、巻物が「食べてみたら『口には蜜のように甘かった』」
という意味なのではないでしょうか。
 苦難の中で、神は最終的には、蜜のような「甘さ」を用意していてくださる
ことを信じて頑張りたいものです。

(この項、完)



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