2022年2月20日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第75回「ヨハネの黙示録10章11節」
(17/2/26)(その2)
(承前)
「王」という語は、神のことを指すこともありますが、黙示録では特に「地
上の王たち」と言う表現で(17:18)、この世の支配者のことを言います。そ
して、特に、17:10~においては、明らかにローマ皇帝のことをさしています。
「預言者」とは、本来はイスラエルの民に神の言葉を伝える者であったのに、
なぜここでは、世界の民に加えて、世界の民への預言は既にありましたが、
「地上の王たち」、さらには、ローマ皇帝への預言が付け加えられているので
しょうか。
そこには、世界の終末についての預言であるので、預言は、世界の民に向
かってなされねばならない、という事情と共に、特にキリスト教の、特にパウ
ロの異邦人伝道においても、ローマと、ローマの政治権力とぶつからざるを得
なかった、と言う事情があったことを忘れてはなりません。
ちょうど今、週報に掲載している「説教再録」においては、使徒言行録の
19章のところに来ております。エフェソのアルテミス神殿の信奉者との対立の
場面ですが、パウロがいわゆる「第二伝道旅行」以後確立してきた「異邦人伝
道」の原則が次のようにまとめられております。
「第一は、偶像礼拝からの解放、第二は、第一と関連しますが、偶像礼拝に
関連して、「霊」に取りつかれている人、この「霊」は、その人の自由を奪う、
という意味において「悪霊」ですが、その人への「悪霊祓い」、そして第三に、
もともと持っていらした「カミ(大いなるもの)への畏れ」を言わば「窓口」
として、主イエスを信じる信仰へと導くこと、そして第四は、伝道の手続きの
問題ですが、あくまでも「ローマの法」に則って伝道が進められるべきである、
ということでした。ギリシア伝道、すなわちローマ伝道、それは多神教に生き
る世界への伝道であったのですが、は、偶像礼拝からの解放をもっとも大きな
課題としていたのです。」
すなわち、主イエスを信じる信仰へと導くこと、を目的としつつ、偶像礼拝
からの解放を最大のテーマとして、しかし、伝道手続はどうであったか、と言
うと、「あくまでも『ローマの法』に則って」行われてきたのです。
それが、キリスト教の側の文献でも明確ではなく、ましてローマ側の文献で
はもっと明確ではないのですが、「迫害」という形で対峙せざるを得ない状況
になっていく中で、ローマの権力への裁きも預言者の預言の対象とせざるを得
ない時代となって来たのです。
残念ながら、そうなのです。
預言者にとっては、イスラエルに対して、裁きを告げる際以上の厳しい「反動」、
そして苦難を予測せざるを得ません。
しかし、預言者はそれをせねばならないし、するべく運命づけられているの
です。
「預言しなければならない」と訳されている部分、こう訳してしまっては、
身もふたもありませんが、「デイ」という語が使われており、「神によって定
められた運命」との意です。
今の時代、私たちにもこの困難の一端を担うことが求められているのでは
ないでしょうか。
(この項、完)
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