2022年2月13日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第75回「ヨハネの黙示録10章11節」
(17/2/26)(その1)

11節「すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民
族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならな
い。」

 先週の続きです。
見者ヨハネが初めて、預言者として召命を受けた場面です。見者ヨハネには、
小さな巻物が与えられました。そして、それを食べるように言われました。
「それは、あなたの腹に苦いが、口には蜜のように甘い。」と言われて、食べ
たところ、口には蜜のように甘かったが、食べると、彼の腹は苦くなりました。
 エゼキエルの場合には、エゼキエルも巻物を与えられた預言者ですが、彼が
それを食べると、それは蜜のように口に甘かったのです。が、エゼキエルの
「蜜のように口に甘かった」はアイロニーでした。実は、その中身は、「哀歌
と、呻きと、嘆きの言葉であった(エゼキエル2:10)」のです。
 エゼキエルと見者ヨハネの差はどこから来るのか。それは、エゼキエルの時
代には、アイロニーで済んだのです。まだ、世の末、終末ではありませんから。
が、今見者ヨハネが関わりつつある世界は、「世の(本当の)終わり」だから
そうはいきません。神の使命に必ず「腹の髄に堪える」苦しみが伴う、と言って
いるのです。むしろ、苦しむために召された、と言ってもよいのです。
 そこで、どのような苦しみが待っているのか、読者は興味津々なのですが
、 その小さな巻物の中身については、11章の1節〜13節のところで示されること
となります。
 ところが、見者ヨハネには、その前に、巻物の中身に書いてあることをする
前に、伝える前に、別に、預言者としてしなければならないことがあるのです。
エゼキエルの場合にも預言の命令が与えられましたが、それは巻物の中身でし
た。見者ヨハネは別に、と言うかそれに加えて、なのです。どうしてなので
しょうか。それはエゼキエルの場合には、伝えなければならないのは、イスラ
エルだけの運命でしたが、今度は世界全体の滅びですから、7つの封印によって
閉じられた巻物の中身全部について預言しなければならないのです。そして、
まだ第7の封印の最後の、第7のラッパの部分が残っているのです。その使命に
とりあえず戻りなさい、との指示が、本日のテキストです。そして、私たちは、
この指示の内容について、確認してまいりたいと思います。

11節「すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民
族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならな
い。」

 まず、「民族、国民、言葉の違う民、」の部分ですが、日本語のこの訳です
と、世界の民族という意味を、3つの語で言い換えた、としか取れません。
 しかし、原文は多少ニュアンスが違います。最初は「ラオス」という語で、
普通はイスラエルの民を表わす言葉です。クリスマスの出来事で、天使が羊飼
いに喜びの知らせを告げる時、「民全体に」と言うその「民」です。(ルカに
よる福音書2:10)これは、本来は「イスラエルの民全体」という意味です。
次は「エスノス」という語です。これは「民族」は民族でも、本来は異邦人、
すなわちギリシア人(ギリシア語を話す人)の意です。
 最後は「グローサ」で、舌と言う意味の語ですが、(諸)言語を指すようにな
りました。イスラエル、ギリシア人以外の人を指します。
 全体として、「世界の諸民族」「世界全体」という意味であることには変わ
りないのですが、救済史を考えたときに、救いがイスラエルから始まって、世
界全体へ広まって行った、という考え方が前提にあるのです。
 そこで、この3つの語を用いて、世界全体の民を言い表す表現は、黙示録の
中でもう1箇所、5:9にもあるのですが、ここでは、それに「王たち」が付
け加えられているのが特徴です。なぜなのでしょうか。

(この項、続く)



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