2022年1月23日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第73回「ヨハネの黙示録10章8節」
(17/2/12)(その2)
(承前)

 が、本日の8節においては、それがなかなか厳しいものであることが予測さ
れます。
 さて、日本語に翻訳する際に、後ろから訳し起こすものですから不明確なに
なってしまっていますが、天使の命令は「行って取れ」でした。原文、ギリシ
ア語では「ヒュパゲ・ラベ」です。そして、この表現は、旧約聖書では「決ま
り文句」でして、ヘブライ語に訳し戻すと「レーク・カーク」となります。
 「レーク・カーク」が用いられている箇所が旧約聖書で2か所あるのですが、
どちらも、「受け取る」ことが、かなりの重荷になるもの(ばかり)です。
 一つは、創世記27:13、かなり厳しい箇所ですね、エサウとヤコブの跡目争い
に際し、ヤコブを偏愛しているリベカが、ヤコブに「お父さん(イサク)の祝福
を奪い取って来なさい」とそそのかす場面です。こんな不当な祝福を奪い取った
がゆえに、ヤコブは、兄の恨みを買い、21年間も家を離れねばなりませんでし
た。
 もう一つは、ホセア書1:2、神が預言者ホセアに「行け、淫行の女をめと
り、淫行による子らを受け止めよ」と命令する場面です。いくら、象徴預言
である、とは言え、ホセアにとって、こんなきつい命令はありません。
 どちらも、ヤコブも、ホセアも、これらの無理難題を引き受けることによって、
神の歴史の導きがつながっていくことは行くのですが、神がとんでもない命令
を出すこともある、典型例でもあるのです。
 と言うことで、この8節からだけでも、見者ヨハネがとんでもない命令を受
け取らされたことが示唆されているのです。
 何が起こるのか、読者は興味津々ですが、当人にとってはそれどころではあ
りません。
 また、それに加えて、見者ヨハネへの災いは、すぐに起こるらしいことも、
この8節の中に示唆されています。
 そもそも終末の出来事は、小羊、屠られたような小羊が、巻物の封印を一つ
一つ開封することによって進行してきました。そこには、「封印を開く」とい
うタイムラグがあったのです。ところが、今度の封印は何と開いている、「エ
ネオーグメノン」という語が使われていて、現在完了形です。だれが開けたか
知らないが、既にあいちゃっている、と言う訳です。
 よって、神さまからの無理難題は、いつかそういうこともあるかもしれない、
と想定しておかないと、ではなく、既にあいちゃっているのですから、今すぐ
にでも課せられるかもしれない。
 課される内容は、先ほども申しましたように、次の節のお楽しみですが、少
し本筋からは外れるかもしれませんが、神さまは、そうやって召した者、「良
し、こいつを使ってやろう」と思った者に対しては、いつ何時どんな要求を出
すかもわかんない、ということを8節からの教訓として、今日受け止めておき
たい、と思います。
 「受けたくもない命令」であるかもしれません。しかし、それにどうこたえ
るか、そこに、私たち信仰の質が試されている、と言えます。

(この項、完)



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