2021年11月14日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第68回「ヨハネの黙示録9章13〜15節」
(17/1/8)(その2)
(承前)
分かりやすくするために、次回のところも先取りして、第二の災いの要旨を
先取りして言うと、第一の害がいなごだったのに対し、第二の害は、馬に乗った
騎兵による殺戮、その馬の数は2億というものでした。
その結果、地球の人口の3分の1が死ぬことになるのですが、その指示は、
直接騎兵になされたわけではなく、第六の天使に、「神の御前にある金の祭壇
の四本の角」の一つから、「大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれてい
る四人の天使」の解放が指示され、その結果、「その年、その月、その日、そ
の時間のために用意されていた」その四人の天使が、人間の3分の1の殺戮の
ために出て行った、というところから始まるのです。
今日は、その手続き部分について学びましょう。
まず、第二の災いは、「神の御前にある金の祭壇の四本の角から一つの声」か
ら始まりました。この「声」とは何でしょうか。いや、それ以前に「神の御前
にある金の祭壇の四本の角」とは何でしょうか。そもそも、天においては、神
がそこにおられるのに、祭壇が必要なのか、と思われるのですが、小羊が第5
の封印を開いたとき、「あること」が明らかとなりました。そして、そこには、
殉教者の血が振り注がれ、その中から殉教者の魂が「恨めしい、恨めしい、早
く復讐を」と叫んでしたのです。
祭壇の角については、黙示録では初出ですが、出エジプト記30:1以下にあ
るとおり、イスラエルにおいては、祭壇の四隅に角がつけられ、そこに贖罪の
献げものの血が塗られ(その血の塗り方については、レビ記4章に詳しく記さ
れていますが)ていました。ですから、「神の御前にある金の祭壇の四本の角
から一つの声」とは、殉教者の「恨めしい、恨めしい、早く復讐を」との声
だったのです。
この声に対して、第五の封印開封の時には、「殉教者の数が満ちるまで、な
お待つように」との指示がありましたが、今や、その殉教者の声を聞く時が来
た、のです。
よって、この第二の災厄は、まず、殉教者の「怨念」の実現として行われる
こととなりました。
しかし、そのために使われた、ないしは仕えたのは、「大きな川、ユーフラ
テスのほとりにつながれている四人の天使」でした。
ユーフラテス川は、本日の旧約書、創世記15:18にあるごとく、「約束の地」
の東の果てで、ローマ時代にも、そこから侵入者が侵入しています。が、そこ
に4人の天使がつながれているという話は未出です。
しかし、旧約聖書エゼキエル書38章においては、終わりの時、神は、ゴグの
王、マゴグに命じて、イスラエルの地を蹂躙させる、とされています。それゆ
え、Tエノク書66:1においては、「地の下で、『懲罰の天使』が待機している」
とあり、『懲罰の天使』の存在は、ヨハネの黙示録の時代、受入れられていた
のではないでしょうか。
が、問題は、この天使が「まともな天使」なのか、あるいは「堕天使」なの
か、というところです。
これについては、16節以下との関わり方が問題となるので、次回に触れるこ
とになりますが、もしも、この4人の天使が2億の騎兵、馬の「指導者」だと
すると、「堕天使」だということになるのではないでしょうか。私は、その可
能性が強い気がします。自分が悪いにも関わらず、天から落とされたのを神の
せいにして、部下をつくってリベンジの機会を狙っていたのです。
そして、神は何と、殉教者の怨念を実現させるために、この「堕天使」ども
を用いた、ということです。
怨念と復讐のぶつかり合い、そこには、ただただ、血みどろの生き地獄が展
開するしかありません。神の用意したもうた終末とは、正義が悪をやっつける
「かっこいいもの」ではなく、そんなものだったのです。
贖いのない世界、和解のない世界がどこに行きつくのか、私たちは、黙示録
の中にそれを見る気がいたします。
(この項、完)
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