2021年11月07日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第68回「ヨハネの黙示録9章13〜15節」
(17/1/8)(その1)
13〜15節「第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の
四本の角から一つの声が聞こえた。その声は、ラッパを持っている第六の天使
に向かってこう言った。『大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている
四人の天使を放してやれ。』四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き
放された。この天使たちは、その年、その月、その日、その時間のために用意
されていたのである。」
今日から第六の天使がラッパを吹くことによって始まる災いに入ります。そ
こで、まず、先週学んだ第五の災いを振り返っておきましょう。
これは、本当の災いの第一でした。
第5の天使がラッパを吹きました。すると、「一つの星が天から地上へ落ちて
来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それ
が底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、
太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。そして、煙の中から、いなごの群
れが地上へ出てきた。」
「アビュース」から出てきたのは、神から「人を苦しめる」権限を与えられ
た(本来はよい)者ではなく、本来は神に従う者であったにも拘わらず、神に
背き、堕落し、すでに罰を受けた存在であったのです。神は、実質的な終末の
刑罰の第一として、「堕天使」どもに自由に活躍できる5カ月の期間を与えら
れたのです。
堕天使どもの第一陣として、まず穴から出てきたのは「いなご」でした。い
なごは、ヘブライ語で、「アルべス」と言いますが、日本で害虫ではあるが、
食用に供するそれとは大いに違い、イスラエルでは、そもそも青草を食いつく
す「神の罰」として受け止められてきたようです。(出エジプト記10章)
その害が、たまらなく大きかったのでしょう。預言者の時代になると、今日
では、その一つ一つを分類学的に同定するのは困難なのですが、ヨエル書1:4、
2:45では、日本語訳で行きますが、「かみ食らういなご」「移住するいなご」
「若いいなご」「食い荒らすいなご」と区別されて使われるようになりました。
これらには、それぞれ別のヘブライ語の名が付されました。
そしてついに、「ゴーブ」という名まで与えられ、この名は、ペリシテとの
有名な戦場を連想させますが、(サム下21章)いなごは、神が遣わす「戦争」
をさえ意味するようになったのです。(アモス7:1、ナホ3:17)
一方、さそりについては、旧約聖書で6回しか出て来ず、イスラエルでは、
さそりについては、その怖さがあまり知られていなかったことが分かります。
しかし、預言書で唯一、エゼキエル書2:6で、神に逆らう者(異邦人?)が
下す罰として登場しますので、ヨハネの黙示録の時代には、異邦人が戦争でも
たらす害として、受け止められるようになっていたのではないでしょうか。
そして、このいなごの害が怖いのは、「いなごは、底なしの淵の使いを王と
していただいている。その名はヘブライ語でアバドンと言い、ギリシア語の名
は、アボリオンという。」からです。
いなごの群れは、天から追放されて落ちてきた堕天使を王と仰ぐその手下ど
もだったのです。かつて善人で堕落した者どもは、筋違いの怨念の塊ですから、
何をするか分からない。最もひどい嫌がらせをすることになるのです。この天
使、そして悪人どものボスの名は、「アバドン」ないしは「アボリオン」と呼
ばれており、どちらも「破壊する」との意です。「さもありなん」です。
厳しいです。しかし、希望はあります。「額に神の刻印を押されている人は
害を受けない」というのです。「額に神の刻印を押されている人」とは、7:1
以下では、「イスラエル」のことでした。しかし、歴史上のイスラエルにおい
ては、外された部族もあると同時に、新たに加えられた部族もあるように、私
たちも、何とか、神に従う歩みをしようと心がけるならば、何とか、耐えられ
るかもしれません。
ということで、実質的な第一の災いが過ぎ、今日から、第二の災いにはいり
ます。
13〜15節「第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の
四本の角から一つの声が聞こえた。その声は、ラッパを持っている第六の天使
に向かってこう言った。『大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている
四人の天使を放してやれ。』四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き
放された。この天使たちは、その年、その月、その日、その時間のために用意
されていたのである。」
(この項、続く)
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