2021年10月03日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第65回「ヨハネの黙示録8章12〜13節」
(16/12/11)(その2)
(承前)

 まず第一に、見者ヨハネはどのような幻を見たのでしょうか。
それは、「太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれ
たので、それぞれ三分の一が暗くなって」でした。
 ここでも、「損なわれた」という翻訳がよろしくない。原語は「プレーソー」
で、新約聖書では、ここにしか出てこない語ですが、旧約聖書七十人訳には、
いくつも用例があり、「物理的に打つ」という意味です。たとえば、出エジプ
ト記22:2、盗人が侵入して来て打ち殺されたケースが出ていますが、この時の
「打つ」が「プレーソー」なのです。ですから、損なわれた(こわれた)かど
うかはともかくとして、神が太陽、月、星の三分の一を打ったのです。そうし
ましたら、その三分の一の部分が、亡くなったのではなく、光らなくなってし
まって、それぞれ三分の一が暗くなった、ということです。
 さて、これは、何を、どういう現象のことを言っているのでしょうか。それ
は、明らかに日食、月食、そしてついでに星食です。が、
 では、神はなぜ太陽、月、星の三分の一を打って日食、月食、そしてついで
に星食を起こしたのでしょうか。それが分からないのです。
 日食、月食、そしてついでに星食は、世界各地、いや世界中で起こる現象で
あり、人々はそれに独自の宗教的意味を持たせてきました。たとえば、日本で
は、天照大神の岩戸隠れは、日食がモチーフだ、と言われています。し、東南
アジア各地では、日食や月食は、悪い弟・妹が、良い兄・姉を怒らせたときに
おこると、言われています。
 では、旧約聖書にそういうモチーフがあるかというと、ないんですね。悪い
弟ヤコブが、善良な兄エサウをだましうちにして怒らせたとき、日食、月食、
そしてついでに星食が起きたか、というと起きていないのですね。
 ですから、神が怒って、日食、月食、そしてついでに星食を起こしたという
話は、旧新約を通して初登場のお話です。
 よって、見者ヨハネにも、この物語を読んだ人にも、この物語の、神が太陽、
月、星の三分の一を打ったという意味が分からなかったのではないでしょうか。
 しかし、旧約聖書に、神が怒って、地(世界)を暗くするであろうという思
想は大いにある。イザヤ書13:10などによれば、「怒りの日」には闇が来るの
です。
 そして極めつけは、今日の旧約聖書でお読みしました、出エジプト記10:21
以下の、出エジプト第10番目の災いである「暗闇の災い」に至るわけです。
 ゆえに、ヨハネ自身かもしれません。あるいは、その後の、編集者、読者で
あるかもしれません。日食、月食、そしてついでに星食話、を「暗闇話」で理
解するようになっていったのです。
 日食、月食、そしてついでに星食が起こったとしても、そして、それが3分
の1の部分食であったとしても、地の三分の一の部分が暗く、闇に包まれるわ
けではありません。また、三分の一の時間、闇に包まれるわけでもありません。
 それが、この日食、月食、そしてついでに星食の物語は、出エジプト記の地
の三分の一の部分が暗く、闇に包まれる話をも乗り越えて、三分の一の時間、
闇に包まれる話として、受け継がれることとなったのです。
 実は、私たちは、思いもかけず、このことを2011年、東日本大震災において、
「計画停電」なるものにおいて体験することとなりました。
 「計画停電」がこんなにも厳しいものであることは、体験してみて初めて分
かったことです。しかし、私たちはファラオと同じように悔い改めなかった。
また、昨日一つの原発が再稼働された。
 ということは、この終末の幻も、私たちの悔い改めを求めるものの範囲内で
ある、ということです。私たちは、終末が来ないと悔い改めないのでしょうか。
今日の説教は、課題を残しつつ、次につなげていきたい、と思います。

(この項、完)



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