2021年9月19日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第64回「ヨハネの黙示録8章10〜11節」
(16/12/4)(その2)
(承前)

 それは、この星の名が「苦よもぎ」という名であることにより、教会の守り
神である星(=天使)が身を削って飛び込んだ災厄ではなく、神がまさに怒り
心頭にして下された災厄であることが分かるからです。
 「ニガヨモギ」とは、「旧約聖書大辞典」によれば、ユダヤ・ヨモギ
(Artemisia Judaica)と同定される植物で、黄色の花が円錐花序に咲く植物
だそうです。この花は、苦みが強く、毒にはならないけれども、古代の人は
一般にこれを「苦難」の象徴としててらえたとのことです。
 旧約聖書では、「苦よもぎ」(「ニガヨモギ」)が9回登場しますが、その
すべてが、植物そのものではなく、「毒」の象徴として、つまり、旧約聖書に
おいては、「ニガヨモギ」は毒のある植物だ、と捉えられていたようです。
 そこで、その毒はどのような毒なのか、ということが問題です。
一番典型的なのが、申命記29:17で、これは、モアブでの契約において神が言わ
れた言葉なのですが、「あなたたち(イスラエルの中に毒草や苦よもぎを生ず
る根があってはならない」と言われています。そしてその「毒草や苦よもぎを
生ずる根」とは何か、と言えば、偶像礼拝、すなわち、神以外の者を神とする、
すなわち浮気をすることなのです。
 よって、エレミヤ書9:14や23:15においては、神がイスラエルに下される罰
が「苦よもぎ」であるとされていますが、それは、「ねたむ神」であられる
「主なる神」が、偶像礼拝をした、つまり他の神に浮気をしたイスラエルの民
を「決して許さない」という裁きの象徴なのです。
 その応用編として、アモス書5:7と6:12では、不正のことを、そして箴言
5:4です、男性の場合ですが、遊女と交わった後の「苦々しさ」を「苦よも
ぎ」と呼んでいるのです。そして、旧約聖書の用例はこれですべてです。
 いかに、「苦よもぎ」そのものではありませんが、この語が、神のおどろお
どろしいまでの怨念の込められた語であるかが、お分かりいただけたのではな
いでしょうか。
 そして、新約聖書においては、他のどこにもこの語が、もちろん植物も登場
しないにもかかわらず、よりによって、黙示録8:11において、この星の名を
「苦よもぎ」と呼んでいるということは、神の、人間の偶像礼拝への、つまり、
浮気への怒りの象徴として、いやそのものとして、この星が投げ込まれた、と
いうことが分かるか、と思います。
 この星は、教会の守り神ではなく、神の怒りの道具としての使命を負わされ
た星であり天使なのです。
 浮気だけは絶対に許さない、これが神の「思い(怨念)」です。
手ずから、この星が投げ込まれることによって引き起こされる災厄は、「水の
三分の一が苦よもぎのように苦くなった」ことばかりではありません。この水
を飲むことにより、「多くの人が死んだ」のです。
 「多くの(ポロイ)」という語は、「大多数」ということをも意味する語で
す。しかし、少し先、と言っても次のページですけれども、第六の天使のラッパ
吹きによって、初めて、人間の命の三分の一が失われることになっています。
まだそこまで行かないのに、第三の天使のラっパ吹きで、そんなにたくさんの
人が死んでしまっていいのか、やはりここも本来は三分の一と書かれていたの
ではないか、という疑問も残るのですが、これは、「多くの(ポロイ)」とい
う表現で、神の怒りの大きさを示しているのではないでしょうか。
 今まで、神は、寛容にして、裁きの場面においてもそれをできるだけ控え、
殉教者の「早く復讐をコール」に対しても、「待て」と言って抑えてきさえし
ました。
 しかし、ここで初めて神は「怒り」をあらわにされます。いかに寛容であって
も、偶像礼拝、浮気だけは許さん、という訳です。
 神がそのようなお方であられることは、私たちも、ふかく心に留めておく必
要があるか、と思います。

(この項、完)



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