2021年6月27日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第58回「ヨハネの黙示録7章11〜12節」
(16/10/2)(その2)
(承前)
見者ヨハネが垣間見た天国においては、神は、きちんと復讐をしてくださった、
そのことに対して、殉教者たちは、心からなる賛美を、言い方を変えれば、勝
利の雄叫びを上げているのです。
わたしたち、読者は、そのことを踏まえておく必要があります。
次に、迫害されている者を救い出し、迫害する者を打ち倒すことができる、と
いうことは、「神が力強いお方」であられる、ということです。
そのことを今度は天使が賛美いたします。それが今日のテキストです。
11〜12節「また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして4つの生き物を囲ん
で立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。『アーメ
ン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの
神にありますように、アーメン。』」
大量の天使たちの、黙示録においては、二度目の登場です。
前回は、5:11〜12でした。そのとき私たちは、「万の数万倍、千の数千倍」
という天使の数にびっくり致しましたが、それは、天使たちのお仕事の大変さ
を象徴していたのでしょう。
その天使たちのお仕事は何か、と言えば、黙示録では地上の教会と天とのと
りなしをする仕事でした。
しかし、地上の教会の現実はどうだったか、と言えば、本来は天国の先駆け
として、神の国の「鏡」でなければならないはずなのに、皆弱さに悩んでいま
した。その弱さたるや、迫害を受けての弱さかと思いきや、一つの教会の例外
を除いて、内部分裂、偽教師の台頭による混乱に悩んでいたのです。何と情け
ないことが、「教会の天使」たちは、その現実をもっともよく知り、最も深く
痛みを覚えていたのではないでしょうか。
それゆえ、屠られたような小羊の登場に、心から感謝し、心から賛美の叫び
を上げたのです。それが5:12でした。
それが、その天使が、第6の封印の開封と共に、再登場です。
ここでは、先ほども申し上げたように、封印の開封の時点よりは、少し先の、
最後の審判に近い時点のことが取り上げられていると思いますが、殉教者の復
讐の願いが聞き届けられ、殉教者の救い、救出が成し遂げられたことを受け、
天使たちは、この出来事を「アーメン」と受け止めます。「真実なる神」がみ
業をなしてくださったからです。
そして、天使たちは、神のみ業の讃美に入りました。それまでとりなしの苦
労を担ってきた天使たちにとっても、とってこそ、殉教者に対しては、復讐が
なされたことはとっても嬉しかったのでしょう。殉教者と心を合わせての勝利
の讃美となったのです。
しかし、それは、繰り返し申し上げていますように、「最後の審判」の直前
のことです。それまでは、「この世の勢力」の台頭の中で、苦しむ人々が、
「神は一体どこにおられるのか」と、嘆かざるを得ない状況です。
それゆえ、この勝利は「最終的勝利」であったとともに、苦しむ者にとって
は、「初めての」「初めて体験する勝利」でさえあるのです。
そこで、「本当の讃美」「賛美そのもの」が生じました。
7:12の讃美を5:12の讃美と比べてみましょう。7つの讃美の言葉のうち、6
つは、全く同じです。原語でも同じです。ただし、一つだけ、5:12では「富」
と記されていたところが、「感謝」と変えられています。
屠られたような小羊に対しては、まだ期待だったものが、神の復讐の業の完
成と共に「感謝」へと変えられたのです。
このような感謝を経て、神の勝利は、やっと殉教者にとっての「慰め」へと
つながっていきます。
殉教者にとっての「慰め」とはいかなるものか、次回からそれをていねいに
見てまいりたい、と思いますが、今日のところは、「慰め」は我慢することに
よってではなく、神の勝利によってもたらされる、ということを受け止めてお
きたい、と思います。
(この項、完)
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