2021年6月20日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第58回「ヨハネの黙示録7章11〜12節」
(16/10/2)(その1)

11〜12節「また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして4つの生き物を囲ん
で立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。『アーメ
ン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの
神にありますように、アーメン。』」

 今日は、前の方の振り返りは省略して、白い衣を着た大群衆が現れたところ
から話を始めてまいりたい、と思います。
 前回のテキストをもう一度読んでみますとこうなります。

9〜10節「この後、私が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉
が違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を
身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声で
こう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのも
のである。』」

 「白い衣を着た人」とは、殉教者で、「復活の命の保証」をされた、受けた
人です。前回、第5の封印開封の際に、殉教者たちが、即座の復讐を求めたの
に対し、神は「自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間
の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、静かに待つように」と言われたの
でした。
 その大量の殉教者が現れたのですから、ここは、場面としては第6の封印の
開封の場面で、開封はまだ残っているのですが、実は、順序から言うと、先の
出来事が先取りされている、と考えられるのです。
 これからもまだ殉教者が増える状況かもしれません。あるいは、あと一人で
殉教者の数が満たされる状況かもしれません。しかし、いずれにせよ、かなり、
「最後の審判」まで、押し詰まった状況の中で、殉教者に対して救いが、与え
られた、少なくとも先取りされた状況の中で、この賛美の歌が歌われたのです。
 どんな救いでしょうか。それについては、先週の説教で申し上げた通り、黙
示録における「救い」は、我慢してあきらめることを意味してはいない、
(deliverance)、すなわち救出の意味です。そして、殉教者にとっての救出
とは何か、と言えば、それは、殉教者が心から願っている復讐が成し遂げられ
ること、すなわち、迫害者がやっつけられること、に他ならなかったのです。
 これは、見者ヨハネもこの時点、黙示録執筆の当時は読めなかったことと思
いますが、この時代の迫害者ローマ帝国は、本当に滅びてしまったのです。
 「我慢するのではなく、復讐が成し遂げられる」とはどういうことなのか、
実は、私も、先週説教を準備している段階では、具体例を思いつくことができ
ず、一般論としてしかお話しすることができなかったのですが、先週新来会者
として礼拝に出席された女性が、ヒントを与えてくれました。
 それは、彼女が高校生時代に、YWCAの行事で多摩全生園(ご存知の方も
多いことと思いますが、ハンセン病の患者さんのための療養所です。)の中に
ある教会を訪ねたときの体験だそうですが、その教会で信徒の方、当然療養所
に入所していらっしゃる方です、の証しを聞いたのだそうです。そこで、彼女
の友人たちは皆感動していたのだけれど、彼女は、皆が感動したことにひどく
反発した。なぜなら、そのお話を聞いたのは、「らい予防法」が廃止される前
のことで、療養所に入所していらっしゃる方は、さんざん言い尽くせないほど
の迫害を受けた上に、既に無菌状態になっているのに、一生そこから出ること
ができない、そのような差別を受けつつ、それでも我慢することを強いられて
いる、その中での証しだったからです。
 私もらい予防法廃止以前から、ハンセン病の療養所の教会に関わっていまし
たから、彼女の言うその状況は、とってもよく分かる。
 私は、その当時、元患者であられる先生と一緒に教会で牧師をしてさえいま
したから、本当はきちんと理解していなければならなかったのですが、理解が
足りなかった。
 患者さん、元患者さんにとっての救いとは、まず、復讐がなされ、つまり、
らい予防法が廃止され、救出がなされ、そこから始まるべきものだったのです。
 教会はそのころ、本当にそのことが分かっていたか、患者さんにとっては、
取り返しのつかない事ではありますが、大いなる反省が必要です。

(この項、続く)



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