2021年5月30日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第56回「ヨハネの黙示録7章1〜8節」
(16/9/11)(その2)
(承前)
この辺りは、バビロニアの宇宙観から来るようなのですが、「地上の四隅か
ら吹く風が災いをもたらす」という考え方は旧約聖書にもあります。たとえば
エゼキエル7:2など。そして、この考え方は、黙示録にも受け継がれていま
す。20:8など。そして、その四隅を天使が抑えている、という考え方はユダ
ヤ教以来あり、その意味で、これらの天使は、その風を引きとめたり、解き放
つことにより、「大地と海とを損なう」権限を与えられている、と黙示録では
考えられているのです。
現在の世界がそういう状態にある、とすると、私たちは、実は危ういところ
に立っていることになります。考えないといけませんね。
ところが、そこへもう一人の別の天使が太陽の出る方角から現れ、『我々が、
神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはなら
ない。』と言います。
「太陽の出る方角から」すなわち東から、というのは、エゼキエル43:2に
「見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から到来しつつあった。」とあるご
とく、この場合には「良い知らせ」の到来と考えてよい、と思われます。「神
の僕たち」正確に言えばなるはずの人、に「刻印」を押しまくっているのです。
この「刻印(スフラギス)」そして特に「刻印を押す(スフラギゾー)」と
いう語は、新約聖書で15回出てくるうち(「刻印」は16回ですが)、すべてが
黙示録ですので、実際にどういうものなのか、あるいは、どういうものがイ
メージされているのか、よく分かりません。が、その黙示録の13:16に「獣の刻
印」なるものが出て来るので、○神とでも書かれていたのでしょうか。
が、ローマの信徒への手紙4:11には、新約で黙示録以外に1箇所だけ「刻印
(スフラギス)」が出て着る箇所があります。翻訳は「印」となってしまって
いますが、そこには「アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされ
た証しとして、割礼の印(スフラギス)を受けたのであり」とあり、「スフラ
ギス」はもともとは、「割礼を受けたこと」を示す何らかの「しるし」だった
のではないでしょうか。しかもそれは、「“霊”によって心に施された割礼
(ローマの信徒への手紙2:29)」だったのです。よって、次に出てくるのは、
ユダヤ人にして「救われる者」です。
7:4〜8「わたしは刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人
で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。ユダ族の中か
ら一万二千人が刻印を押され、ルベン族の中から一万二千人、ガド族の中から
一万二千人、アシュル族の中から一万二千人ナフタリ族の中から一万二千人、
マナセ族の中から一万二千人、シメオン族の中から一万二千人、レビ族の中か
ら一万二千人、イサカル族の中から一万二千人、ゼブルン族の中から一万二千
人ヨセフ族の中から一万二千人、ベニヤミン族の中から一万二千人が刻印を押
された。」
12という数字は、イスラエルでは完全数ですから、全部族から12,000人ずつ
が救われる、ということは、原則として全員が救われる、ということを意味し
ます。良かったですね。
しかしながら、イスラエルすなわちユダヤ人は、割礼を受け、神の救いを保
証された民であったはずなのに、律法主義に陥り、神の救いから漏れたはず
だったのではないでしょうか。(ローマの信徒への手紙2章)
しかし、神は、イスラエルの「残りの者」を取っておかれました。(ローマ
の信徒への手紙11章)そして今はまだ実現しておりませんが、神はイスラエル
が異邦人の救いに「ねたみ」を起こし、救いに与るように、求めて、と言うよ
り、願っておられる、と言うのが、パウロの見解でした(同じく、ローマの信
徒への手紙11章)。
ここでの12,000人は、以上の「神の救いの計画」をすべて含んだ上での
12,000人です。この幻は将来のことですが、だとすると、この「刻印押し」の
作業は、現在進行中、と言えるでしょう。
神は、一旦「聖なる者」と定めた民を、その背きにも拘わらず、終わりの時
には、救いに入れるべく、待っていてくださる、ということが、ここでのメッ
セージなのではないでしょうか。
その上で、十四万四千人の数字についての深い洞察は、次回の最初に取りあ
げたい、と思います。
(この項、完)
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