2021年5月16日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第55回「ヨハネの黙示録6章12〜17節」
(16/9/4)(その2)
(承前)

 しかし、災厄はそこでは終わりません。

12〜14節「また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震
が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、
天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振
り落とされるようだった。天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、
みなその場所から移された。」

 ここでの災厄は大地震です。
しかし、この大地震の規模は、私たちが経験したことのある大地震の比ではあ
りません。
 まず、「太陽は毛の粗い布地のように暗くなり」ですが、これは、ヤギの毛
で織った粗布が真っ黒だったのでそのようなたとえで語られているのですが、
私たち人類は、日食以外には、太陽が黒くなる体験は持ちません。
 次に「月は全体が血のようになって」は、ヨエル書4:2にそのような表現
がありますが、これもわたしたちの体験外です。
 「天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられ
て振り落とされるようだった」は、イザヤ書34:4に、イチジクではなく、ブド
ウの木について似たようなたとえがありますが、経験の中では、ありえないこ
とです。
 「天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移
された。」については、旧約にも用例のない表現で、理解が難しいですが、要
するに、大いなる天変地異がおこる、ということを言っているのではないで
しょうか。
 が、当時の天文学の知識の稚拙さはさておいても、実は、ここで言っている
ことは、天変地異の大きさに止まらず、宇宙の秩序そのものが壊されること、
つまり、慣性の法則、質量保存の法則、万有引力の法則が通用しない世界が来
る、と言うことなのではないでしょうか。
 みな、人類の歴史の中では体験したことがないことです。
ところが、ヨハネの見たところでは、これに対応する人類は、意外と能天気な
のです。

15〜17節「地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自
由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって、『わ
たしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りか
ら、わたしたちをかくまってくれ』と言った。神と小羊の怒りの大いなる日が
来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。」

 「地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身
分の者」とは、当時の分け方で、身分によって人を上から下へ7つに分けたも
ので、これで「どの身分の人も」と言う意味になるのですが、彼らは、「怒り
の大いなる日」が来た、と言うことは感じ取っていました。
 「怒りの大いなる日」とは、ゼファニア1:14、2:2、にあるように、神の
最後の審判の日のことです。
 感じ取ってはいたのです。しかし、対応はお粗末でした。「洞穴や山の岩間
に隠れ」というのは、当時の災害時の避難方法で(サム上13:6など)、その程度
で済ませてしまっているのです。
 そして「山と岩に向かって、『わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に
座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ』と
言った。」と言う程度なのです。本当は、洞穴や山さえ頼りにならないほどの
カタストロフであるにも関わらず、です。
 彼らは、その原因が「玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒り」であるこ
とは察知しています。しかし、誤った『楽観主義』に捕らわれ、陥ってしまって
いたのです。
 ちょうど、地球規模の危機に対して、為替レートの変更で対処しようとする
ようなものです。
 見者ヨハネは、それに対して「神と小羊の怒りの大いなる日が来たからであ
る。だれがそれに耐えられるであろうか。」と事態を正しく捉えています。
 神の怒りの日に対して、私たちはいかに対応したらよいのか、深く受け止め
るべきです。そのヒントは次回示されることとなります。

(この項、完)



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