2021年4月18日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第53回「ヨハネの黙示録6章7〜8節」
(16/8/21)(その2)
(承前)

 このように、この黙示録6:8がもとで、キリスト教社会では、「青白い馬」
と言えば「死」のイメージであったのですが、本当にそうなのか、第一に、
「この馬は本当に青白かったのか」、そして第二に「乗っていた者は本当に死
だったのか」、まずこの2点について、検討して参りましょう。
 まず、「この馬は本当に青白かったのか」という点ですが、私の現在のとこ
ろの結論においては、この馬は、青白かったのではなく、「グリーン」であった
のではないか、と考えております。
 原語は「クローロス」という語です。この語は、新約聖書では、ここも含め
て4回しか出てこない語です。そして、ここ以外のところ3か所(マルコによ
る福音書6:39、黙示録8:7、9:4)では明らかに「グリーン」の意味です。
なぜなら、それらはすべて「青草」の描写だからです。そして、「クローロス」
という語の語源自体、「クローエー(青々とした青草)」の意だからです。
 更に、LXXではどうか、と言えば、それは、すべて「グリーン」という色、
そして「青草」の意で用いられています。たとえばイザヤ書15:6など。
 また、ゼカリヤ書6:2における四頭の馬は、赤、黒、白、まだらでした。
「まだら」は原語では「ポイキロイ」です。「クローロス」ではありません。
 よって、黙示録6:8の馬は、ゼカリヤ書とは違って、「まだら」ではなく、
「グリーン」であった、「ああ、そうか」というのが、この箇所の自然な読み
方です。
 次に、「乗っていた者は本当に死だったのか」という点についてですが、
乗っていたのは、「死」ではなく、「疫病(死に至る病)」であった、というの
が、今の私の判断です。
 原語は「サナトス」です。皆様もよく御存知の語です。この語は、ほとんど
100パーセント、「死」の意味です。ところが、この語、「サナトス」は文脈
によっては、「疫病(死に至る病)」の意味で用いられることがあるのです。黙
示録2:23、18:8は明らかに、「疫病(死に至る病)」の意味です。
 更に、LXXでは、「サナトス」が、ヘブライ語で「疫病(死に至る病)」を
意味する「デベル」の訳語としてしばしば用いられることがありました。(出
エジプト記5:3など多数)
 もちろん、黙示録2:23、18:8と6:8を除く黙示録における12回の「サナ
トス」の用例は、すべて、明らかに「死」の意味ですが、6:8の文脈を見ると
、つまり、第一の馬、第二の馬、第三の馬と対比してみると、ここで「死」を
持ってきてはすべてが終わってしまいますし、一つの、しかし厳しい災いがも
たらされた、という意味で「疫病(死に至る病)」がもたらされた、と解釈する
のが素直な読み方であろうか、と思います。
 以上の、検討の結果の結論を翻訳に反映させると、7節、8節は次のように
なるはずです。

7〜8節「小羊が第4の封印を開いたとき、『出て来い』と言う第4の生き物
の声をわたしは聞いた。そして見ていると、見よ、グリーンの馬が現れ、乗って
いる者の名は疫病(死に至る病)といい、これに陰府が従っていた。彼らには、
地上の4分の1を支配し、剣と飢饉と疫病(死に至る病)をもって、更に地上の
野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。」

 先ほどの議論は、当然8節後半にも反映されるので、8節後半の「死」は、
「疫病(死に至る病)」となります。
 結論に入ります。
第4の、裁きとしては3番目の災いは、「疫病(死に至る病)」でした。これは
厳しいもので、「陰府が従っていた」ことからも分かるように、容易に「死」
に至るものでした。
 しかし、「容易に『死』に至るもの」ではあっても、「死」そのものではあ
りません。
 更に、たとえ、その災いが、16世紀のヨーロッパのペストのように厳しいも
のだったとしても、最大「地上の4分の1」である。
 神様は、裁きは避けられないものであるとしても、最後の最後まで、悔い改
めの余地を残しておいてくださる、これが本当のキリスト教です。

(この項、完)



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