2021年4月11日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第53回「ヨハネの黙示録6章7〜8節」
(16/8/21)(その1)
7〜8節「小羊が第4の封印を開いたとき、『出て来い』と言う第4の生き物
の声をわたしは聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗ってい
る者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の4分の
1を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与え
られた。」
開封の4回目になります。
3回の開封で、もうすでにパターンが明らかになったと思いますので、バターン
の確認から参りたい、と思います。
封を開くたびに、玉座を取り囲む4つの生き物が順番に「出て来い」と声を
かけ、それにしたがって、4つの馬と騎手(乗り手)が登場します。
古来、これは「4つの災い」を表わしている、と言われてきましたが、前回
のところまで、丁寧に読んでみると、必ずしもそうとは言い切れないことが分
かってきました。
第一の馬は白い馬で、騎手は、弓を持ち、冠をいただき、勝利に勝利を得よ
う、と出て行きました。これは、戦争という災いを指す、と言われてきました
が、そうではなく、世界宣教を指す、と考えられます。裁きの前に、福音が全
世界に宣べ伝えられねばならないのです。(マルコによる福音書13:10)
第二の馬は炎のように赤い馬でした。乗り手は、大きな剣を与えられ、地上
から平和(神の平和を奪い取って、殺し合いをさせる権限を与えられていました。
これは、裁きです。しかし、地上のすべての者が、(聖者も含め、)いきな
り裁きに遭う、と言われているのではなく、ユダヤ教文献から明らかなとおり、
天使の堕落に対して裁きがなされるのです。神に近いはずの聖職者の堕落、神
はこれをお見逃しになることなく、真っ先に裁かれるのです。
第三の馬は黒い馬で、乗っている者は、秤を手にしていました。これは、エ
ゼキエル書4:16〜17に従って、飢饉という裁きを示しています。しかし、こ
の飢饉は、小麦の価格が約16倍、大麦の価格が約8倍になる、という程度の飢
饉で、絶対的な飢饉ではありません。
このような「中途半端」な裁きにいったいどのような意味があるのか、と言
うと、これも当時のユダヤ教文献の助けを借りて言えば、人間社会のゆがみが
飢饉を生み出す、という考え方に基づき、人間社会に警告を与えるための裁き
だ、と言うことです。
以上、第一の馬から第三の馬まで、それぞれ、神の裁きを告げる者ではあった
のですが、裁きの前にまず、神の言葉を宣べ伝えることを使命としていたり、
まず第一に、最も厳しく裁かれなければならない聖職者の堕落を裁くもので
あったり、人間社会のゆがみへの警告としての飢饉であったり、皆教育的な意
味合いを持ったものでした。いきなり切り捨てる、滅ぼす、という訳ではなく、
悔い改めが求められていたのです。
そして、今日はいよいよ第四の馬、「青白い馬」が登場します。第一の馬か
ら第三の馬までがどのような馬であったとしても、この第四の馬ばかりは、死
と滅びをもたらすものとして古来恐れられてきたのですが、本当のところはど
うなのか、テキストを丁寧に読んでまいりたい、と思います。
7〜8節a「小羊が第4の封印を開いたとき、『出て来い』と言う第4の生
き物の声をわたしは聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗って
いる者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた。」
現在の翻訳のままですと、第四の馬はこので、そこに乗っていた者の名は
「死」でした。
この馬については、古来恐れられてきた、と言いましたが、その一例として、
18世紀から19世紀のイギリスの画家ターナーの1825年の「青白い馬に乗った死」
という作品においては、これは複製画ですが、青白い馬に骸骨が乗った絵が、
描かれております。
また、19世紀のデンマークの実存哲学者キルケゴールに、「死に至る病」と
いう作品がありますが、これは、もちろん難病のことを言っているのではなく、
不安が絶望に至り、そしてやがては死に至る、ということを言っているのです
が、その本の見開きに、この黙示録6:8が引用されているのであります。
(この項、続く)
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