2021年3月14日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第51回「ヨハネの黙示録6章3〜4節」
(16/8/7)(その1)

3〜4節「小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が『出て来い』と言
うのを、私は聞いた。すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗って
いる者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。
また、この者には大きな剣が与えられた。」

 一週間、間が空きましたので、復習を少し丁寧にせねばなりません。
前回から、『屠られたような小羊』であられるイエスが封印を一つずつ開いて
いく作業が始まりました。
 そして、第一の封印が解かれたとき、そこには「白い馬」とそれにまたがった
騎士が登場しました。その騎士は、弓を持ち、冠が与えられ、勝利に勝利を得
ようと出て行きました。
 ところで、6章1節〜8節には、4つの封印を解く物語が出てまいります。
これらは、「4つの馬」が登場しまして、古代から「4つの災い」の物語とし
て受け止めて来られました。そしてこの白い馬およびそれに乗った騎士につい
ては、地上に戦争をもたらすものである、と解釈されてきました。
 しかし、本当のところどうなのか。通説に捕らわれず、それぞれの馬につい
て、順に検討してまいりましょう。
 と言うことで、前回は「白い馬」とそれにまたがった騎士について、検討し
てまいりました。
 「白い馬」、なかなかかっこいいイメージですが、「白い馬」という表象は、
旧新約聖書を通して、ここを含め、3か所しか出てきません。一つは、ゼカリ
ヤ書で、他の2色ないし3色の馬と一緒に、神の命令によって全地を駆け巡りま
す。もうひとつは、同じ黙示録の19章11節以下、白馬の騎士が、同じく白馬に
乗った天使の軍勢を付き従えて、さっそうと登場します。明らかに救い主です。
全地に警告を与えるのか、あるいは救いをもたらすのか、定かではありません。
 そこで、6:2の白馬の騎士の別の表象を検討してみると、まず、騎士が持って
いる「弓」ですが、「弓」については、あまりにも用例が多く、これだけで正
義の騎士であるか、反キリストであるか、を判定するのは、不可能です。
 「冠を与えられ」たことについては、旧約聖書から新約聖書に至るまで、冠
は栄誉のしるしですが、しかし、偽りの冠が与えられたこともあり(歴代誌下
23:11)、全体としては何とも言えません。しかし、黙示録の用例では、すべて
栄誉のしるしです。
 そして「勝利の上に更に勝利を得よう」としたことについては、勝利という
語は黙示録に多用される語(15回)なのですが、その中、13回は、正義の勝利
であり、特に、教会が、悪に打ち勝った時に、必ずこの語が用いられていると
ころを見ると、正義の勝利、とりわけ教会の勝利を表わしている可能性が高い
のです。
 そうすると、この「白い馬」とそれにまたがった騎士は、よって、「救いを
もたらす者」で、地上に神のことばを伝える宣教者(伝道者)である、のでは
ないでしょうか。
 マルコによる福音書13:10には、イエス様が、ヨハネの黙示録と同じく、終
末の出来事を預言された中で「しかし、まず、福音がすべての民に宣べ伝えら
れねばならない。」と言われています。終末は、すべのものの決算がなされる
ときですから、裁きは避けられません。しかし、それに先立って、イエス様は、
福音が「白い馬」とそれにまたがった騎士によって宣べ伝えられ、これから起
こされる裁きは、本当の救いをもたらすためのものであることを指し示そうと
されたのではないでしょうか。
 わたしたちは、「白い馬」とそれにまたがった騎士に、警戒したり、恐れた
りする必要はなく、心を開いて受け入れるべきなのではないでしょうか。
 さて、今日は、それに引き続いて、第二の封印の開封と、「火のように赤い
馬とそれに乗った騎士」の登場です。この「火のように赤い馬とそれに乗った
騎士」は地上に何をもたらそうとしているのでしょうか。
 3〜4節「小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が『出て来い』と
言うのを、私は聞いた。すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に
乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えら
れた。また、この者には大きな剣が与えられた。」
 この「火のように赤い馬とそれに乗った騎士」が地上に何をもたらそうとし
ているのか、「白い馬」とそれにまたがった騎士の場合と比較しながら、検討
していきたい、と思います。

(この項、続く)



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