2021年3月7日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第50回「ヨハネの黙示録6章1〜2節」
(16/7/24)(その2)
(承前)

6:1〜2「また、わたしが見ていると、小羊が7つの封印の一つを開いた。
すると、4つの生き物の一つが、雷のような声で「出てこい」と言うのを、
わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、
弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て
行った。」

 4つの馬ですけれども、「白い馬」(6:2)、「赤い馬」(6:4)、
「黒い馬」(6:5)、「青白い馬」(6:8)です。
 とても不思議な表現ですけれども、「4頭の異なる色の馬の物語」は、既に、
旧約聖書の預言者ゼカリヤ書の見た幻のなかにも出てきました。1:8では、
ここでは3頭ですが、「赤毛」「栗毛」「白い」馬が、6:2では、「赤毛」
「黒い」「白い」「まだらの強い」馬が登場し、神の命令で地上の各地、特に
四方を行き巡るのです。
 これらの馬は、ただ行き巡るだけなのですが、ここ、ヨハネの黙示録では、
総体としてみると、地上に災厄をもたらしているように見えます。
 また、マルコによる福音書13:7以下、マタイによる福音書14:6以下、ルカに
よる福音書11:9以下の、小黙示録を見ますと、終末の時に天から下される災い
が、戦争、紛争、飢餓、疫病の4つに集約されているようにも見えます。
 そこで、これらの4つの馬は、戦争、紛争、飢餓、疫病を地上にもたらすた
めに、神から遣わされる馬と捉えられてきました。
 しかし、そうだとすると、封印を解かれた時に示されるはずの「贖い」「救
い」はどこに行ってしまったのか、ということになってしまいます。また、仮
にそうだとしても、神が封印を解いたところで、なぜ地上に災厄をもたらして
いるのか、という問いが残されます。
 そこで、通説に捕らわれず、それぞれの馬について、順に検討してまいりま
しょう。
 まずは「白い馬」です。
「白い馬」、なかなかかっこいいイメージですが、「白い馬」という表象は、
旧新約聖書を通して3か所しか出てきません。
 一つは先ほど触れたように、ゼカリヤ書で、他の2色ないし3色の馬と一緒に、
神の命令によって全地を駆け巡ります。
 2番目は、同じ黙示録の19章11節以下、白馬の騎士が、同じく白馬に乗った
天使の軍勢を付き従えて、さっそうと登場します。
 そして、ここ、6:2です。「いい者」なのか、そうではないのか、判断に
迷うところです。
 そこで、6:2の白馬の騎士の別の表象を検討してみると、まず、騎士が持って
いる「弓」ですが、「弓」については、あまりにも用例が多く、これだけで正
義の騎士であるか、反キリストであるか、を判定するのは、不可能です。
 となると、「冠を与えられ」たことと、「勝利の上に更に勝利を得よう」と
出て行ったことから判定するしかありません。
 「冠を与えられ」たことについては、旧約聖書から新約聖書に至るまで、冠
は栄誉のしるしですが、しかし、偽りの冠が与えられたこともあり(歴代誌下
23:11)、全体としては何とも言えません。しかし、黙示録の用例では、すべて
栄誉のしるしです。
 また「勝利の上に更に勝利を得よう」としたことについては、勝利という語
は黙示録に多用される語(15回)なのですが、その中、13回は、正義の勝利で
あり、特に、教会が、悪に打ち勝った時に、必ずこの語が用いられているとこ
ろを見ると、正義の勝利、とりわけ教会の勝利を表わしている可能性が高いの
です。
 結論を言うと、「白馬の騎士」を悪人と捉えるには、かなり無理があります。
そう捉える理由が分かりません(ありません)。
 よって、四つの馬のうち一つ、白い馬だけは「いいもの」で、地上に神のこ
とばを伝える宣教者(伝道者)である、とも捉えられるのです。封印を解くに
当たり、神はやはり災厄を下されるのですが、神は、災厄を下される前に、ま
ず第一には、白馬の騎士を遣わされたということ、そこには、神さまの救いの
ご意志が明確に示されている、と思うものであります。

(この項、完)



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