2021年1月31日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第48回「ヨハネの黙示録5章13節」
(16/7/10)(その1)

13「また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そ
こにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
『玉座に座っておられる方と小羊とに,賛美、誉れ、栄光、そして権力が、
世々限りなくありますように。』」

 場面の確認から参りましょう。
将来の神の国、まさに天国において、玉座に座っておられる方、神さまが、巻
物の封印を解く方として、『屠られたような小羊』であられるイエスをご指名
なさり、まさに、『屠られたような小羊』であられるイエスがそれを玉座に
座っておられる方の右の手から受け取ったときの出来事です。
 まず、玉座を取り囲んでいる四つの生き物と、二十四人の長老が「新しい賛
歌」を歌いました。
 その歌の内容は、当然のことながら、贖われし者が救いに入れられるように、
との内容でした。
 旧約聖書時代は、「贖われし者」とはあくまでもイスラエルの民であり、し
かしまあ、終わりの時ぐらい、異邦人も仲間に入れてやろうか、という程度の
ものでした。
 しかし、新約時代に入り、見者ヨハネが見た天国においては、異邦人、すな
わちユダヤ人以外の信徒が主流となり、世界の「あらゆる種族と言葉の違う民、
あらゆる民族と国民」こそ、もちろんユダヤ人も含めて、救いの対象となった
のです。
 その長老たちの讃美歌に続いて、天使たちが賛美を歌いました。その天使た
ちの叫びを先週は詳しく学びました。
 天使たちの働きとは何でしょうか。それは、ヨハネの黙示録においては、こ
れまでの所、天使の大きな働きは、「教会の天使」として、イエスの7つの教
会への忠告を聞いて、受け止め、そして教会に伝える働きだったのです。
 7つの教会の現実はどうだったでしょうか。本来は天国の先駆けとして、神
の国の「鏡」でなければならないはずなのに、皆弱さに悩んでいました。その
弱さたるや、迫害を受けての弱さかと思いきや、一つの教会の例外を除いて、
内部分裂、偽教師の台頭による混乱に悩んでいたのです。
 何と情けないことが、今まで触れませんでしたが、「教会の天使」たちは、
その現実をもっともよく知り、最も深く痛みを覚えていたのではないでしょう
か。
 その「教会の天使」が、『屠られたような小羊』であられるイエスが巻物の
封印を解く方として登場された時に、喜びの叫びを上げました。イエスの贖い
こそ、この教会の弱さ、混乱を解決する、させる力であったのです。
 『屠られたような小羊』であられるイエスは、どうやって、教会の混乱を収
めたのでしょうか。教会に神から遣わされた権力者として君臨し、教憲教規を
振りかざし、教会員を、たとえ暴力をふるうことはなかったとしても、混乱を
収めるためだ、と称して、怒鳴りつけ、パワーハラスメント行為を繰り返しつ
つ、敵対者を排除しつつ、教会員を黙らせたのでしょうか。
 そうではありません。全く逆でありまして、自らが、『屠られた小羊』とし
て、虐待され、棄てられ、そして殺され、教会員の身代わりとなって、教会の
混乱を収めたのです。
 7つの賛辞ですが、最初の4つの1番目と4番目が、最も大切です。1番目
は力、4番目は「威力」これは正しくは「権力」と訳すべきです。この2つは
『屠られた小羊』としてのイエスには徹底的にありませんでした。
 しかし、そのことのゆえに、教会の混乱を収めた、とりなしをなしたのです。
結果、この方には、本当の「富」と「知恵」があることが知れ、そして、
やっと終末の時に至って、「誉れ」「栄光」「賛美」を受けることとなったの
です。
 少し長く復習をすることとなりましたが、こうして、4つの生き物と24人の
長老たち、という天国の構成員だけでなく、天使をとおして教会のメンバーも
『屠られたような小羊』であるイエスをそして神をほめたたえているのです。
それだけ『屠られたような小羊』であるイエスの贖いの業が、広く行き届いて
いる、ということです。
 そして、今日はその締めくくりとして、そのほめたたえが、すべての被造物
に及んでいる、というお話です。

13「また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そ
こにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
『玉座に座っておられる方と小羊とに,賛美、誉れ、栄光、そして権力が、
世々限りなくありますように。』」

(この項、続く)



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