2021年1月17日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第47回「ヨハネの黙示録5章11〜12節」
(16/7/3)(その1)

11〜12節「また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、
多くの天使たちの声を聞いた。その数は万の数万倍、選の数千倍であった。天
使たちは大声でこう言った。『屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、
栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。』」

 一週間、間が空きましたので、復習というより、前回の確認から参りましょう。
将来の神の国、まさに天国において、玉座に座っておられる方、神さまが、巻
物の封印を解く方として、『屠られたような小羊』であられるイエスをご指名
なさり、まさに、『屠られたような小羊』であられるイエスがそれを玉座に
座っておられる方の右の手から受け取ったとき、玉座を取り囲んでいる四つの
生き物と、二十四人の長老が歌った「新しい賛歌」の終わりまで、前回は学び
ました。
 最も、四つの生き物と、二十四人の長老が歌った、とは言っても、四つの生
き物は、もっぱら竪琴の演奏と、香を振り回すことに集中し、歌の方は、二十
四人の長老が担当したことと思われます。一体どんな音色だったのでしょうか。
どんなメロディーだったのでしょうか。そして、私たちが天国に行った時には、
どんな演奏を聞かせてくれるのでしょうか。
 その歌の内容は、当然のことながら、贖われし者が救いに入れられるように、
との内容でした。
 しかし、「新しい歌」と銘打たれているごとく、旧約聖書時代に想像されて
いた「天国の歌」とは、違う内容のものでした。
 旧約聖書時代は、「贖われし者」とはあくまでもイスラエルの民であり、し
かしまあ、終わりの時ぐらい、異邦人も仲間に入れてやろうか、という程度の
ものでした。だったはずです。
 しかし、新約時代に入り、見者ヨハネが見た天国においては、異邦人、すな
わちユダヤ人以外の信徒が主流となり、世界の「あらゆる種族と言葉の違う民、
あらゆる民族と国民」こそ、もちろんユダヤ人も含めて、救いの対象となった
のです。
 将来、私たちが天国に行ったとき、この歌の内容はどうなっているのでしょう
か。地球だけでなく、他の天体に生きている、生きてきた方々も、救いの対象
になっているかもしれません。もちろん、地球上の他の生き物たちも救いの対
象になっていることでしょう。天国で、どのような人と出会い、どのような仲
間と一緒に暮らすことになるのか、考えてみると、とても楽しみです。
 そして、贖われし者には、王としての仕事、祭司としての仕事が待っている、
というのです。この地上での王、祭司の仕事の大変さを考えると、天国に行って
まで働かされるのではないか、と勘繰りたくなりますが、そこは天国ですので、
神さまの威光、お考えはすんなり浸透しているはずです。
 さて今日は、その長老たちの讃美歌に続いて、天使たちが賛美を歌った、そ
の場面です。天使たちとは、何で、つまりどういう立場にあって、そして何を
歌った、明らかにしたのでしょうか。そこを学んでまいりましょう。

11〜12節「また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、
多くの天使たちの声を聞いた。その数は万の数万倍、選の数千倍であった。天
使たちは大声でこう言った。『屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、
栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。』」

 まず第一に天国、神の国にいたのは、四つの生き物と24人の長老だけでは
なった、ということです。天使たちがいました。しかも、その数、万の数万倍、
選の数千倍でした。少し変な表現ですが、旧約聖書(ダニエル書7:11)以来
の、数が途轍もなく多いことの表現方法です。
 天使と言うと、私なぞは、「森永エンジェル」の天使をすぐにイメージして
しまうので、途轍もなく多い天使と言うと、洞窟に群がる蝙蝠をイメージして
しまうのですが、ここでは、天使の姿形については触れられていません。想像
で、あるいは偏見で決めつけてはいけない、ということです。
 それよりも、原文を見ますと、「わたしは見た、そして聞いた。玉座と、4つ
の生き物と、24人の長老との周りに、多くの天使たちの声を。」となっており、
玉座の周りで、天使たちがどこの位置にいたか、ということよりも、あちらこ
ちらで声を発していたことが問題となっていることに注目が集まっているのです。

(この項、続く)



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