2020年12月20日
〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕
第45回「ヨハネの黙示録5章9節」
(16/6/12)(その1)
9〜10節「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。
あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中
から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕え
る王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」
今日から始まる賛歌は、天上において、「屠られたような小羊」たるイエス
が、「玉座に座っておられる方(神)」から封印された巻物を受け取られた時
に、玉座を囲む四つの生き物と、24人の長老が歌ったものです。
もっとも、「屠られたような小羊」たるイエスが、「玉座に座っておられる
方(神)」から封印された巻物を受け取られた時、四つの生き物と24人の長老
は、皆「ひれ伏し」ましたが、つまり、「屠られたような小羊」を礼拝しまし
たが、先週検討しましたように、専らひれ伏したのは、24人の長老であって、
四つの生き物は、片手で竪琴を奏で、片手で香の入った壺(鉢)を振り回した
ことと思われます。
そこで、賛歌を歌ったのは、もっぱら24人の長老、その、いわば、伴奏を担
当したのが四つの生き物、と受け止めるのが自然です。四つの生き物と24人の
長老の両者は、協力して香の中に込められている聖者たちの祈りを「屠られた
ような小羊」に伝え、とりなしをしたのです。
それゆえ、これからここで歌われる賛歌は、「とりなし」としての性格を
持ったものであった、ということをまず押さえておきたい、と思います。
それでは、歌の内容に入ってまいりますが、その前に、この歌が「新しい歌
(オーデーン・カイネーン)」と呼ばれていることに注目して参りましょう。
一体、何が新しいのでしょうか。
この「新しい歌(オーデーン・カイネーン)」という表現は、旧約聖書詩編
の、33:3、40:4、96:1、98:1、144:9、149:1の6か所に出てきま
す。しかし、詩編においては、何が新しいのか、という点については不明確で
す。
が、イザヤ書42:10にも「新しい歌(オーデーン・カイネーン)」が出てく
るのですが、ここでは「新しい歌(オーデーン・カイネーン)」が明確です。
古い時代が過ぎ去り、神が新しい時代を始められた、それはまだ暮明であるか
もしれないが、その新しい時代に属する歌、それが「新しい歌(オーデーン・
カイネーン)」なのです。
そこでユダヤ教時代においては、「新しい歌(オーデーン・カイネーン)」
とは、「終わりの時」に神がなさる業、救われる者には永遠の救い、滅びる者
には永遠の滅び、それを賛美して歌う歌とされました。
それでは、キリスト教時代においては、「新しい歌(オーデーン・カイネーン)」
は何が新しいのでしょうか。
ユダヤ民族の救いだけでなく、「すべての民」の救いが射程に入っている点
が新しい、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ところが、その思想は、ユダヤ教の時代からあり、何もキリスト教の時代に
なって始まったものではありません。ダニエル書7:14には、終わりの時には、
すべての民に神の支配が及ぶことが記されています。
では何が新しいのでしょうか。
それが、24人の長老が、「屠られたような小羊」への礼拝において、ひたすら
ひれ伏し、香に込められた「聖徒たち」の祈りのとりなしをなした、というこ
とに関わるのです。
「聖徒たち」とは、黙示録に置いては、終わりの日の贖いを祈り求めるクリ
スチャンの意味です。そして、キリスト教の時代になって、そのクリスチャン
は、徐々に異邦人が主流となってまいりました。それゆえ、この香に込められ
たクリスチャンの願いというのは、異邦人クリスチャンの願いであり、そして
その異邦人クリスチャンの願いとは、異邦人としての自らと、同胞の救い、す
なわち異邦世界、そして世界全体の救いであったのです。
(この項、続く)
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