2020年12月6日

〔ヨハネの黙示録連続講解説教〕

第44回「ヨハネの黙示録5章8節」
(16/6/5)(その1)

8節「巻物を受け取ったとき、4つの生き物と24人の長老は、おのおの、竪琴
と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この
香は聖なる者たちの祈りである。」

 宿命となっている振り返りから始めましょう。
今日は封印された巻物から始めましょう。
その封印の意味ですけれども、それはエレミヤ書32章のアナトトの畑の物語に
見られるごとく、贖われた者が終わりの時に救われる印だったのです。巻物は、
隠されたばかりでなく、終わりの時の救いのために封印されていたのでした。
 この封印をとくために「屠られたような小羊」としてのイエスが登場いたし
ました。
 で、前回の問題は、その小羊の立ち位置でした。
6節のみの考察からは、「屠られたような小羊」としてのイエスは、玉座に
座っておられる方と4つの生き物の間にいる、との結論でした。神に最も近い
ところにいる、との結論です。
 しかし、7節の考察から、「屠られた『ような』小羊」であるところのイエ
スは、ある距離をたぶん歩いて(歩いたかどうかは分かりませんが)ともかく
移動して、神のもとに来て、巻物を受け取ったということが明らかとなりまし
た。
 そこで、私たちは、前々回却下した、「屠られた『ような』小羊」は、4つ
の生き物と24人の長老との間にいた、とする説を再検討し、「屠られた『よう
な』小羊」は、最初は4つの生き物と24人の長老との間にいた、その可能性が
高い、との結論に至りました。
 だとすると、天の国でも、「屠られた『ような』小羊」は、最初は御自身を
「謙遜」に位置付け、神から遠いところにいたのです。高く、近くに引き上げ
てくださったのは、神だったのです。
 そして、「小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を
受け取った。」のです。
 そして、いよいよ6章から、小羊によって、7つの封印が順に解かれていく
のですが、その前に、4つの生き物と24人の長老が賛歌を歌うのです。それが、
本日の8節から14節までの部分に記されています。
 賛歌そのものは、9節以降ですので、次週から検討していきますが、本日は、
「屠られたような小羊」が、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受
け取ったときに4つの生き物と24人の長老が示したしぐさです。
 4つの生き物と24人の長老は、どのような思いをもって、ないしは、役割を
もってここに記されているしぐさを行ったのでしょうか。順に検討してまいり
ましょう。

8節「巻物を受け取ったとき、4つの生き物と24人の長老は、おのおの、竪琴
と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この
香は聖なる者たちの祈りである。」

 何よりもまず、皆様に、この場面を想像していただきたい、と思います。
「巻物を受け取ったとき」には、原文でも主語が省略されていますが、動詞が
三人称単数ですので、主語は明らかに、「屠られたような小羊」でしょう。
 そのとき、4つの生き物と24人の長老がどうしたか、です。小羊の前にひれ
伏したのです。原文ではそうつながっています。「ひれ伏す」は、原語は「プ
ロスキュネオー」という語で、同時に「礼拝する」という意味の語ですから、
全員で礼拝したのでしょう。
 しかし、原文では「ひれ伏した」の次につながっているのですが、「おのお
の、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って」の部分が問題です。
これは、全員だったのか、4つの生き物と24人の長老のどちらかだったのか、
原文は、動詞からは、主語が複数である、ということしかわかりませんので、
全員とも、どちらかとも取れるのです。

(この項、続く)



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