2020年11月01日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第41回「ヨハネの黙示録5章3〜5節」
(16/5/15)(その2)
(承前)
この話はよく御存じの方もいらっしゃることと思いますが、エレミヤの象徴
預言としてよく知られた物語です。預言者エレミヤが、主の言葉に従って、い
とこのハナムエルからアナトトの畑を買い取りました。それはベニヤミン族の
所領に属します。エレミヤは、その購入証書を証人たちの見ている下で封印し、
素焼きの器に納めました。
そしてエレミヤは、この行為を、「イスラエルの神、万軍の主が『この国で
家、畑、ブドウ園を再び買い取るときがくる』と言われるからだ」と説明しま
した。
やがてユダはバビロンの占領下となるだろうが、いつの日か、神は、イスラ
エルを復興させてくださるしるしが、この封印された証書だったのです。
さて、見者ヨハネが見た巻物は、「隠されていた」ばかりではなく、7つの
封印が施されていました。
と言うことは、そこに記されていることは、神の怒りばかりではなく、実は、
贖いの業、救いの業が記されているのだ、ということになりはしないでしょう
か。少なくとも、見者ヨハネはそのように捉えていたのではないのでしょうか。
ということは、結論は、前回申し上げたことと同じになるのですが、この巻
物を開くに、いや封印を特に値する者は、単に、力強き者であるばかりではな
く、つまり裁き主であるばかりではなく、贖い主でなければならなかったので
はないでしょうか。
よって、イエス以外にそのような者はおりませんから、イエスが現れる以前
には、見者ヨハネは、「激しく泣く」以外にはなかったのです。終末は、厳し
い裁き、徹底した裁きが待っているのみであったのです。
見者ヨハネの号泣は、そのような裁きを恐れての号泣でもあったのです。
しかし、ここで、アドヴェントが起こります。それが5節ですが、本日は、5
節を丁寧に見て終わることといたしましょう。
5節「すると、長老の一人がわたしに言った。『泣くな。見よ。ユダ族から出
た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、7つの封印を開いて、その巻物
を開くことができる。』
言葉の意味から行きますと、「ユダ族から出た獅子」とは、ユダ族出身の力
強い者との意味なのですが、ここではそれだけの意味ではありません。創世記
49:9を見ますと、もともと、と言ってもいつのころからかはわかりませんが、
ユダ族は獅子にたとえられてきました。
それが、ユダヤ教時代になって、それはクムランから発見された書で明らか
になったのですが、メシア=終末の時、裁きのために神が遣わす者の称号として
用いられるようになってきたのです。そこまでは分かっています。
一方、「ダビデのひこばえ(芽)」については、最初から終末論的でした。
クリスマスの時に必ず読まれるイザヤ11:1の「エッサイの株からの芽」と同
じ意味だし、中身も一緒です。
イスラエルはとっくに滅びているのに、エッサイ(ダビデの父)の株から、
有能な子孫が出て国を再興する、というのです。
見者ヨハネは、たぶん、ユダヤ教世界で当時よく知れていたこれらの称号を
用いて、登場してきたヒーローの出現を表現しましたので、イスラエルの再興
か? と思われた方も多いことか、と思います。イエスはユダ族の出ですから、
まさにそれであったのです。
しかし、「封印」という語の説明において、丁寧に申し上げた通り、ここで
このヒーローは、勝利者としてだけではなく、「贖い主」として登場したので
す。
そして、イエスはまさにそれでもあったのです。
(この項、完)
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