2020年10月25日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第41回「ヨハネの黙示録5章3〜5節」
(16/5/15)(その1)

3〜5節「しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、
見ることのできる者は、だれもいなかった。この巻物を開くにも、見るにも、
ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。す
ると、長老の一人がわたしに言った。『泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、
ダビデのひこばえが勝利を得たので、7つの封印を開いて、その巻物を開くこ
とができる。』」
 巻物話の続きです。そこで、巻物について振り返っておきましょう。
少しずつ、丁寧に読んでいますので、時間がかかってしまっていますが、
ストーリーとしては単純でして、見者ヨハネが、将来の神の国、天の御国を垣
間見させていただいたところ、神さまの右の手に巻物があり、そして、天使の
一人が「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と叫んで
いる、その場面のところでした。
 まず、巻物とは何か、ということですが、神さまが将来の御計画について、
書き記したものらしい、というところまで行きました。
 それで、時々、その巻物の内容を実行するために、天使が派遣されるという
ところまで触れました。最も天使派遣に至るまで、天におきまして喧々諤々の
議論が行われるようではありますが…。
 ところが、後の時代になると、その巻物が隠される、という事態が生じるよ
うになりました。これは、この世の有様が、神さまのみ心とあまりにも離れた
ものとなり、巻物をちらっちらっと見せる程度では解決のつかない事態となり、
つまり終末の裁きを待つしかない、という事態を反映するものと考えられます。
 それで、この巻物が封印された事態において、天から派遣されたイエス様は、
天で一体どんな議論がなされて派遣されたのだろうか、ということをかなり想
像を交えて、と言うよりほとんど想像でお話しさせていただいて、前回の講解
説教は終了させていただいたのです。
 しかし、聖書のテキストでは、まだ、巻物は封印されたままでして、「開く
ことのできる者はだれか」と天使が叫んでいる状態ですので、もう一度、封印
のところまで戻りまして、封印とはそもそも何か、何のために封印されるのか、
なぜ封印されたのか、についてきちんと把握するところから再出発してまいり
たい、と思います。
 ちなみに、国語辞典で「封印」という語を引いてみますと、「ふうじめに押
した印」ないしは「印を押すこと」とあります。
 典型的には、私たちが封書をしたためますときに、封をして○緘の印を押す、
あれであります。書かれている事柄は重要な事柄であるから、手紙の宛先人以
外の人は開けてはいけませんよ、という意味であります。
 若い方にとっては、暗証番号の方がなじみがあるか、と思いますが、あれの
重いやつであります。
 で、神さまは、将来計画を記された巻物を「封じられた」らしいのですが、
そこまでは、イザヤ書29:11、ダニエル書12:4、9に記されています。「封じ
られた」ばかりでなく、封印まで押されてしまったらしいのです。しかし、封
印のことは、聖書の中で、黙示録5:1で初めて出てまいります。旧約聖書の
時代から、黙示録の時代までの間に、神さまはずいぶん頑固になられてしまった
のですね、という感じです。
 「封じられた」理由は、イザヤ書29:11、ダニエル書12:4、9によれば、神
さまのお怒りのようなのですが、封印までされた理由は何なのでしょか。私た
ちはそれを確認しない訳にはいきません。
 実は、「封印」という語は、旧約聖書の中では、6回しか用いられておりま
せん、希少語です。しかも、ヨブ記41:7で巻物とは関係のない意味で用いら
れている以外は、すべてエレミヤ書32:6~15の「アナトトの畑を買う」物語で
だけ用いられている用語です。エレミヤ書32:6~15は、証書の封印の話ですが、
見者ヨハネが、神の巻物が封印されている、と言うときに、このエレミヤ書の
物語を意識して「封印」という語を用いている、と考えられますので、まず、
エレミヤ書32:6~15を見てまいりましょう。

(この項、続く)




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