2020年10月18日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第40回「ヨハネの黙示録5章2節」
(16/5/1)(その2)
(承前)

19〜23節
「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右
に立っているのを見ました。主が『アハブを唆し、ラモト・ギレアドに攻め上
らせて倒れさせるのはだれか』と言われると、あれこれと答える者がいました
が、ある霊が進み出て主の御前に立ち、『わたしが彼を唆します。』と申し出
ました。主が『どのようにそうするのか』とただされると、その霊は、『わた
しは行って、彼のすべての預言者たちの口を通して偽りを言う霊となります。』
と答えました。主は、『あなたは彼を唆して、必ず目的を達することができる
に違いない。行って、そのとおりにせよ。』と言われました。今ご覧のとおり、
主がこのあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を置かれました。主はあ
なたに災いを告げておられるのです。」

 ここにはあからさまに出てはいませんが、神の手には「巻物」があるのです。
そして、そこには、アハブの死が記されている。そして、それをだれが告げる
か、ということで、天上で議論が起こり、「ある霊」がその役を担うこととな
り、その霊がかくかくしかじかの方法で、その巻物の内容の実現へと向けて、
努力する、という次第になっているのです。
 実際、この後、アハブ王は、自分の運命を変えようとした空しい試みもむな
しく、死を迎えてしまいました。
 こうして、旧約聖書では、神の巻物には運命が記され、それは必ず、そのよ
うになる、と定められていたのです。
 しかし、旧約聖書では、イザヤ書29:12、ダニエル書12:4、9にあるごとく、
その巻物がしばしば封印され、隠される、という出来事が起こります。これは
いったいどうしたことでしょうか。
 考えられる可能性は二つ。
一つは、イスラエルの民が悔い改めて、「不幸の運命」を霊や預言者の口を通
して伝える必要がなくなったこと。
 もう一つは、イスラエルの、いや世界の悪があまりにひどく、よって終末の
裁きか残されておらず、霊や預言者による運命の告げ知らせに意味が無くなっ
てしまったケース。
 そして、ダニエル書12章など、旧約聖書最末期の文書の告げる所は、後者
だったのです。
 ところが、この時代にあってイエスは「神の国は近づいた(来た)(マルコ
による福音書1:15)」と宣言して、宣教活動を開始されました。いよいよ、
イエスによって終末がもたらされ、世界の滅びが宣言されるのでしょうか。
 しかし、事態は思わぬ方向へ進むこととなりました。
イエスは、ただの預言者ではありません。ヨハネによる福音書1:1によれば、
先在のキリストです。だとすれば、天の会議に置いて巻物の封印を解くことを
使命として遣わされたはずです。
 その会議の有様は、列王記上22:19〜23〜推測すると次のようなものだった
ことでしょう。
 神「わしはいよいよ、この世界に最終的裁きを実施することとした。」
みんな「ええっ、ほんとですか。
しかし、巻物にお書きになっておられるとしたら、それは致し方ないことで
す。しかし、そんな巻物の中身を一体だれが伝えるのですか。(異口同音に)
私にはできません。」
 しばらくの沈黙ののち、
イエス「わたしが行きましょう。」
みんな「ええっ。いいのですか。今度の裁きは最終の裁きですから、裁きを伝
える者自身が生贄とならなければ、救いはないのですよ。」
イエス「いいのだ。それが神のみ心であるならば。」
 こうして、イエスが地上に遣わされることとなったのです。
もちろん、会議などなく、すんなり決定してしまったかもしれませんが、会議
があったとしたら、こんなプロセスを辿ったことでしょう。
 そして、イエスは本当に地上に来られ、巻物にあるごとく裁きを告げ、そし
て自ら生贄となられたのです。それゆえ、神の子羊(ヨハネによる福音書1:29
以下)だったのです。
 さて、「力強い天使」とは、10:1、18:21に再登場しますが、裁きの開始を
告げる天使です。天使の会議で決定したことも十分に踏まえて、『封印を解い
て、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか』と宣言しています。イエスに
よる封印の解除がなければ、救いは閉ざされてしまいます。
 イエスによる封印の解除は、わたしたちの救いの道が開かれていることを指
し示しているのです。

(この項、完)




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