2020年08月09日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第35回「ヨハネの黙示録4章8節」
(16/3/6)(その1)
(承前)
ところが、見者ヨハネが見たケルビムは、それぞれ6つの翼があったという
のですから、エゼキエル書のケルビムの延長線上にそれがあるとすると、そ
こまで翼を増やしたら、むしろ、お邪魔で仕方ない、ということになりはし
ないでしょうか。
そこで多くの注解者は、この4つの生き物は、ケルビムではなく、セラフィム
だよ、というようなことを言い出しているのです。
セラフィムとは、預言者イザヤが召命の時、見た天国の幻の中で見た生き物
です。イザヤ書6章の中でしか出てきません。6つの翼を持ってぴょこぴょこ
ぴょこぴょこ飛び回っているのです。それで、「聖なる、聖なる、聖なる万軍
の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」と互いに言っているのです。
それで、「この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神
殿は煙に満たされた。(4節)」と記されてはいますが、その地震はきっと「震
度1」ぐらいで、小鳥が飛び交っているイメージなのではないでしょうか。コ
ンコルダンスの解説によれば、セラフィムは「翼を持った天使」とのことで、
確かめてはいませんが、「森永」のエンジェルの先祖と、私は考えています。
しかし、獅子、牡牛、人間、鷲の4つの顔を持ったエンジェルがぴょこぴょこ
ぴょこぴょこ飛び回っていたら、気持ち悪いので、私が気持ち悪いと思うだけ
でなく、4つの生き物で、全世界全宇宙を照らしている、という役割とは齟齬
をきたすので、やはりこれらはセラフィムではなくてケルビムなのではないで
しょうか。
だとすると、見者ヨハネが見たケルビムにおいては、邪魔な6つの羽根の上
に、更に、「その周りにも内側にも、一面に目があった。」というのはいった
いどうしたことなのでしょうか。
おそらく、これはあくまでもおそらくですが、6枚の羽根を広げれば、表面
積はかなり大きくなりますので、そこにびっしりと敷き詰められた「目」に
よって、全世界全宇宙の隅々にまで、目が行き届く、だけではなく「光」がも
たらされる、ということなのではないか、と私は考えているのです。
もしも、全世界全宇宙の隅々にまで、目が行き届く、そして「光」がもたら
されるとすると、そこに、完全なる賛美が生まれます。
私が「完全なる賛美」と申し上げたのは、この地上においては、「完全なる
賛美」は難しい、いや不可能とさえ言えるからです。この地上には、戦争があ
り、飢餓があり、一体神がいるのか、と問わざるを得ないほど悪が蔓延してい
ます。それどころか、この地上に神の正義を伝えなければならない教会におい
てさえ、腐敗と悪が蔓延しているではないですか。残念ながら、それが、教会
の歴史の真実です。
しかし、贖いの業が完全に成就する終末においては、やっとこの時に至って、
賛美のみで世界は満たされる、のです。本来神さまをガードするはずだったケ
ルビムでさえ、神を賛美するのです。
「彼らは昼も夜も絶え間なく言い続けた。『聖なるかな、聖なるかな、聖な
るかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。』」
はじめて、「神の永遠の支配」が褒め称えられることとなるのです。
当時のユダヤ教の考え方によれば、「ユディトの書」、天使には2つの階級が
ありました。上の階級の天使は、臨在と聖化の天使です。神と共にいる天使で
す。もう一つは神をほめたたえる天使、これは神と共にいることが許されず、
「仕える天使」とされていました。そしてケルビムもセラフィムもそこに含ま
れていたのです。
しかし、見者ヨハネの見た天国においては天使に階級はありません。ケルビ
ムも、神の近くにいてしかも賛美する、という高い地位を獲得することとなっ
たのです。
それは、イエス、キリストの「贖いの成就」により、臨在と聖化の天使が要
らなくなった、という事情がもたらしたものです。そこまで、主イエス・キリ
ストの恵みは及ぶのです。
もちろん将来のことではありますが、イエス・キリストによってその道が開
かれたことを、私たちは感謝を持って受け止めたいものです。
(この項、完)
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