2020年07月19日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第34回「ヨハネの黙示録4章7節」
(16/2/21)(その1)

7節「第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、
第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようで
あった。」

 いつものように前回の振り返りから始めましょう。
前回は、玉座の周りに四つの生き物がいる話をいたしました。
この生き物は何でしょうか。神と共にいる「変わった生き物」として、私たち
が真っ先に思い起こすものは、何でしょうか。そう、ケルビムです。
 ケルビムが聖書に最初に登場するのは、エデンの園を守る者としてですが、
実は神殿にはなくてはならないものでした。
 契約の板をいれた契約の箱に、その箱に純金でふたをつくり、その両端に一対
のケルビムをつくり、それらが向かい合い、翼を広げてふたを覆うようにして、
その二つのケルビムの間に神が御臨在なさる、とされたのです。
 更にソロモン王がエルサレムに神殿を造ったとき、内陣という、神の御臨在
いただくための場所をつくり、そこに高さ10アンマですから、巨大なケルビム
を一対設置しました(列王記上6章)。そして、契約の箱をそのケルビムの下に
設置したのです(同8章)。
 ソロモン王がもちこんだ契約の箱の蓋にはケルビムが一対設置されていたは
ずなので、ケルビムは計4体あったことになるはずです。
 四体のケルビムでもって、契約の箱を守っていたのです。
後に、エルサレム神殿崩壊後、新たな神殿の完成を幻に見たエゼキエルにとって、
ケルビム=四体というところから、話は始まりました。
 そして、見者ヨハネも、将来の神の国の幻の中で、四つの生き物、すなわち、
見者ヨハネはそのように呼んではおりませんけれども、ケルビムを見るのです。
 前回は、預言者エゼキエルが見たケルビムと、見者ヨハネが見たケルビムの
最大の違いについて触れました。
 それは、車輪を持っているかどうかでした。エゼキエルのケルビムにおいて
は、四つの生き物がそれぞれ車輪を持っていました。エゼキエルのケルビムに
おいては、神を乗せて移動することがその仕事だった、と考えられます。そして、
エゼキエルのケルビムではこの車輪外枠の周囲一面に目が付けられていました。
おそらく、神さまを安全無事にお運びするためのものだったと考えられます。
 一方、見者ヨハネが見たケルビムにおいては、車輪はありませんでしたが、
生き物の「前にも後ろにも一面に目があった。(6C)」のです。
 車輪もないのに目が一面にある、とはどうしたことなのでしょうか。
そもそも神さまに目があるかどうか、それは私たちには分かりません。しかし、
目のあるなしに関わらず、神さまは、私たちのことはすべてご存知です。しか
し、神さまをお助けするケルビム本体に目がある、ということは、世界、特に
人間のことを監視して、サタンのように告発するため、ということになるので
はないでしょうか。神さまの安全を守るためです。
 しかし、仮に見者ヨハネに占星術の影響があったとすると、占星術では、目
は星ですから、見者ヨハネが見たケルビムはたくさんの星を身にまとっていた
ことになります。星は黙示録1:20によれば教会の天使です。見者ヨハネが見た
ケルビムは、教会に警告と、そして慰めを与える「守り神」としての役割を
担っていたのです。
 ということで、今日は、その4つの生き物の顔の話に入ります。

7節「第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、
第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようで
あった。」

 4つの生き物が、姿ないし顔が獅子、雄牛、人間そして鷲である、というこ
とは何を意味するのでしょうか。
 実はこの4つの生き物が、姿ないし顔が獅子、雄牛、人間そして鷲である、
ということについての、いちばんよく知られた解釈は、一番定着した解釈は、
それぞれが四つの福音書を表わす、とするものでした。

(この項、続く)



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