2020年07月12日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第33回「ヨハネの黙示録4章6節」
(16/2/14)(その2)
(承前)

 四つの生き物は、あくまでも玉座の周りにいたのです。しかし、その四つの
生き物は、「神さま」がいられる前からそこにいるのではなく、「神さま」と
共に現れたのです。つまり、神に忠実に従う四つの生き物がそこにもいたとい
うことです。
 さて、それでは、この神に付き従う四つの生き物とはいったい何者なので
しょうか。そして、何をする「人」なのでしょうか。
 神と共にいる「変わった生き物」として、私たちが真っ先に思い起こすもの
は、何でしょうか。そう、ケルビムです。
 ケルビムなるものが、聖書に最初に登場するのはどこでしょうか。そう、創
世記3:24です。主なる神がアダムとエバをエデンの園から追放された後、エ
デンの園にある「命の木」を守るため、エデンの園の東に置かれたのが、ケル
ビムときらめく剣の炎でした。しかし、これだけでは、その形も、一体何人
(何匹)いたのかもわかりません。
 次にケルビムが登場するのは、出エジプト記25章です。出エジプトを達成し
たイスラエルの民に、「神さま」は、幕屋建設の指示を出されました。その中
心に置かれるのが、「掟の板」を収める「契約の箱」です。その箱に純金でふ
たをつくり、その両端に一対のケルビムをつくり、それらが向かい合い、翼を
広げてふたを覆うように作ることが命じられました。このふたが、そのケルビ
ムとケルビムとの間が贖いの座として、神がお顕れになられる所、とされたの
です。
 これとは別に、ソロモン王がエルサレムに神殿を造ったとき、内陣という、
神の御臨在いただくための場所をつくり、そこに高さ10アンマですから、巨大
なケルビムを一対設置しました(列王記上6章)。そして、契約の箱をそのケル
ビムの下に設置したのです(同8章)。
 書かれてはいませんが、ソロモン王がもちこんだ契約の箱の蓋にはケルビム
が一対設置されていたはずなので、ケルビムは計4体あったことに成るはずで
す。
 よって、後にエルサレム神殿崩壊後、新たな神殿の完成を幻に見たエゼキエ
ルにとって、ケルビム=4体というところから、話は始まるはずです。
 エゼキエル書1章がまさにそれで、ケルビムは、四つの生き物として、登場
するのです。
 黙示録は、この4つの生き物のイメージを受け継いでいることは確かなので
すが、姿かたちからしてずいぶんと異なっており、それは、その働きに関係し
ている、と考えられます。
 まず、エゼキエル書1章では、それぞれのケルビムが4つの顔を持っている
のに対し、黙示録では一つずつです。
 最大の違いは、エゼキエル書1章では、それぞれの生き物は、一つずつ車輪
をもっていた、ということです。おそらく、エゼキエル書1章では、四つの生
き物の最大のお仕事は、「神さま」と一緒に移動するということだったからな
のではないでしょうか。
 エゼキエル書1章ではこの車輪外枠の周囲一面に目が付けられていたのに対
し、黙示録では車輪ではなく、生き物の「前にも後ろにも一面に目があった。
(6C)」と言います。今日は、最後にそのことの意味について触れて、終わ
りにしたい、と思います。
 神さまは目を持っておられるのでしょうか。
聖書には、「神はご覧になる(創世記)」という表現はあっても、「神が目を
持つ」という表現は、調べた限り、一切出てきません。「神さま」は目があろ
うがなかろうが、「見える」のだ、と思われます。
 よって、神的存在についても「目がある」と言われているのは、エゼキエル
書1章と黙示録だけだ、と思われます。
 なぜ、目があるのか。エゼキエル書1章の場合には、ケルビムが玉座を担い
で移動するからでしょう。
では黙示録は?
 もし黙示録に占星術の影響があったとするならば、目=星ですから、1:20
に倣って、四つの生き物もそれぞれに「7つの教会の天使」を抱えていること
になります。
 私たち(私かもしれません)は、自分にやましいところがあるとどうしても
「神の目」を意識してしまいます。神の目は、人の悪を見逃さず、追及するた
めのものなのでしょうか。だとすると、この四つの生き物の目も、神さまを手
助けして人を告発するためのものとなってしまいます。
 しかし、この四つの生き物の目が、みな教会の天使だとすると、この生き物
は、教会を通して、人を見守る目ということに成るのではないでしょうか。将
来の神の国における神さまは、人のあらさがしをするような目などお持ちにな
らず、憐れみの目を持って、見守っていてくださるのではないでしょうか。教
会を通して恵みをもって臨んでいてくださるのですから、私たちに求められる
のは、神の目を逃れようとすることではなく、悔い改めである、ということな
のではないでしょうか。

(この項、完)



(C)2001-2020 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.