2020年07月05日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第33回「ヨハネの黙示録4章6節」
(16/2/14)(その1)

6節「また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の
中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。」

 前前々回から、見者ヨハネの見た、来るべき神の国、ざっくばらんに言って
しまえば、「天国」の描写に入っています。
 先週は、「天国」の中央にある玉座の上に、そして周りにあるものについて
学びました。
 もちろん、近代科学の発達していない当時のことですから、限界はあります
が、見者ヨハネなりに、持っている知識を総動員して、そして旧約聖書から得
た知識を総動員して、垣間見た「天国」の様子を描写しているのです。私たち
は、もちろん時代と状況が変わってきているので、困難なことではありますが、
できる限り、旧約聖書を始めとする当時の知識を探ることにより、見者ヨハネ
が聖書の読者に何を伝えたかったのか、読み解く必要があります。
 玉座におられる方、すなわち「神さま」については、3節で「その方は、碧
玉や赤瑪瑙のようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。」
とあります。
 前回、碧玉や赤瑪瑙がそもそもどのような石について言っているのかの検討
から始め、結論としては、赤い碧玉(ジャスパー)とカーネリアンとも呼ばれ
る赤瑪瑙を持って、両方とも赤ですから、「裁き主」としての「神さま」のイ
メージを表わしているのでないか、と申しました。
 また、3節後半にで「玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。」
とありますが、これは他の可能性もありますが、「神さま」の後光を指してい
るのではないか、と申し上げました。
 そして、6節前半の「また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようで
あった。」については、創世記1:4にもその考え方が記されていますが、「天の
上にある海」である、と考えられるのです。
 5節の「玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。」については、
旧約聖書以来の、「裁き主」であられる「神さま」が地上にお顕れになられる
際の表象でした。
 つまり、神は、天において威光を持って裁いていらっしゃる「裁き主」であ
られる、とのイメージ、意味内容が、表わされているのです。
 問題は、5節後半の「また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。
これは神の七つの霊である。」です。
 これは旧約聖書には、同じ表現が無く、解釈に苦労するところですが、既に
黙示録1章において、7つの燭台が7つの教会を表わしていましたから、その
燭台の枝であるともし火によって、7つの教会から出たすべての教会を意味し
ている、と考えられるのです。1章と同じく、「神さま」は、一つ一つの教会
の守護者である「7つの霊」をとおして、裁きとそして慰めとをすべての教会
に行き届かせられるのです。
 さて、今日は、その外側になるのですけれども、玉座の周りを取り囲む生き
物についての描写に入ってまいりましょう。
 6節後半「この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろ
にも一面に目があった。」
 一番の問題は、「四つの生き物」とは何ぞや、という問題なのですが、まず、
その前に、それが、「玉座の中央とその周り」にいた、という記述について検
討すること致しましょう。
 どうでもよいことのように思われるかもしれませんが、ここは解釈が極めて
むつかしいのです。
 文字どおり取ると、4つの生き物のうち、3つは玉座の周りにへばりつくよ
うにいた。しかし、一つは、玉座の(右の)ヘリと(左の)ヘリとの間にいた、
ということに成ります。そうすると、そこに座っていらっしゃる「神さま」の
頭の上にでも乗っかっていたのかしら、ということになります。
 そんなことは畏れ多くてできないので、せいぜい、4つの生き物は、足と言
うか下半身の部分を玉座の下にひっかけ、上半身を玉座の上に乗り出していた、
という解釈になります。かなり無理のある解釈です。
 実際、当時の終末論的文書においても、「神さま」以外の者が玉座の中央に
いる、という記録はありませんので、ここは、残念ながら、見者ヨハネのミス
という判断を下すしかありません。エゼキエル書1:5、先週お読みしたとこ
ろですが、そこに、「神さま」がお顕れになられるときの「火」の中に、4つ
の生き物がいた、との記述がありますので、それを無理に取り入れようとして、
結果的にありえない話になってしまったのだ、と考えられます。

(この項、続く)



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