2020年05月10日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第29回「ヨハネの黙示録3章20〜22節」
(16/1/10)(その1)
(承前)

20「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を
開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わ
たしと共に食事をするだろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座ら
せよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じよ
うに。

 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」
ラオディキア教会への手紙の三回目、最終回です。
ラオディキア教会がどのような教会であって、それに対して、天上のイエスか
らどのようなアドバイスが与えられたか、振り返ってみますと、ラオディキア
教会の教会員の信仰については、「あなたは、冷たくもなく熱くもない。むし
ろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬ
るいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」と言われていま
した。
 よって、ラオディキア教会の教会員の信仰については、「あなたは、『わた
しは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自
分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分
かっていない。」つまり、受け入れるべきものはきちんと受け入れず、受け入
れてはならないものはきちんと拒否せず、その結果、中途端な信仰に陥ってい
る、信仰生活で身に着けていなければならないことがきちんと身についていな
い、というのです。
 しかし、ラオディキアの教会員はなぜ中途半端な信仰しかもっていなかった
のでしょうか。それは、あからさまには書かれていないので、推測ではありま
すが、彼らが「神と富とに仕えていた」からです。
 それを正すために、天上のイエス様は、彼らに三つの勧めというよりは命令
を出されました。
 まず第一に、「裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うよう
に」との指示です。
 次に、「裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買え。」との指示
です。
 そして最後に、「見えるようになるために、目に塗る薬を買え。」と命令す
る。
もうお分かりのとおり、ここはイエスにおいて本当の豊かさを得るために、
「金を出させる」ことに意味があるのです。「神と富とに仕えていた」状態か
ら、ほとんど強制的に、イエスのために、金を出させることにより、中途半端
な信仰を乗り越える訓練がなされたのです。
 これは、「金にしっかりとしがみついている」、「金を手放すことだけは、
何があってもしようとしない」、「後生大事に金だけは手放さない」私たちに
とっては、厳しい訓練です。
 しかし、この厳しい訓練に答えるならば、つまり、「悔い改め」と「熱心な
求め」をもって答えるならば、神は真実な方ですから、イエスも真実な方です
から、決して裏切られることはありません。
 全くそのとおりであり、私たちは、「恐れ入りました」と頭を垂れるしかな
いので派内でしょうか。けれども、手紙はあと二節ほど続いており、この二節
はいったい何なのか、というところから話を進めてまいりましょう。
もう一度、20から21節を読みます。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を開
ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わた
しと共に食事をするだろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせ
よう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じよう
に。」

 イエスが来られる、ということが言われているのですが、問題は、このイエ
スの到来が、終末の時なのか、それ以前のことなのか、そこが問題です。
ラオディキア教会の教会員の立場に立って考えてみましょう。
 天上の主イエスから、「お前の信仰は中途半端だ」それを克服するために、
もちろんイエスのためにですけれども、「金をもっと出せ。もっと、もっと出
せ。」と厳しいことを言われました。

(この項、続く)



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