2020年03月22日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第24回「ヨハネの黙示録3章9〜10節」
(15/12/6)(その2)
(承前)

 ですから、天上のイエスも、かなり意気込んで、最初から「約束」を散りば
めながら、手紙を口述しているのです。
 というわけで、9節は、ユダヤ人たちへのリベンジです。クリスチャンにひ
どいことをした分、その報いは大きいのです。先週触れたことが裏付けられて
います。
 「見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、
こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らが
あなたの足もとに来てひれ伏すようにし、私があなたを愛していることを彼ら
に知らせよう。」
 「足もとに来てひれ伏す(正確に訳すと、「足の前でひれ伏す」」はそもそ
もは、礼拝行為を指す言葉です。しかし、人が王に対して、臣下としてひれ伏
す意味でもあります。
 また、「私があなたを愛している」は、イザヤ書43:4の引用で、そもそも
は、神がイスラエルを選びの民とする、との意味でした。ここでの「愛する」
はほとんど偏愛の意味です。
 今までは、ユダヤ人が神に選ばれた民であり、異邦人はそのユダヤ人に臣従
することが求められていたところが、地位の逆転が起こり、今や、異邦人を中
心とする、クリスチャンが、ユダヤ教の指導者にまでなり、ユダヤ人が服従す
る、と言う事態が起こる、と言うのです。
 先週も言いましたように、これは終末の時の出来事ではありません。だとす
ると、実際に事実そのような大それたことが起こるのでしょうか。起こったの
でしょうか。
 考えてみるに、私は、これは正典結集の出来事を指しているのではないか、
と思います。
 ユダヤ戦争の敗北で、ユダヤ教は神殿礼拝という大きな柱を失い、未だに回
復していません。もう一つの柱、律法の正典結集も危うくなってきたのですが、
逆にこの時期に、トーラー、ナビーム、ケスービームからなるいわゆる(私たち
の言う) 旧約聖書の範囲も、キリスト教の協力によって成り立ったのです。協
力と言っても、その正典範囲をキリスト教も受け入れたというだけのことなの
ですが、キリスト教の協力によって旧約聖書は命脈を保つことができたのです。
 さて、最後に、ここが大事な、肝心要の点なのですが、このようにひどい迫
害を経験したフィラデルフィア教会にして初めて、終末に来る「真の」苦難の
時の約束が与えられます。それが10節です。

10節「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々
を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。」

 今までも、各教会において、問題点を克服した人には約束が与えられていま
した。エフェソ教会は「命の木の実」、スミルナ教会は「命の冠」、ペルガモ
ン教会は「マンナと白い小石」、ティアティラ教会は「明けの明星」、サル
ディス教会は「白い衣」でした。皆、救いのしるし、約束ではありましたが、
救いそのものではありませんでした。
 しかし、ここフィラデルフィア教会に至って「試練の時に、わたしもあなた
を守ろう。」という具体的な保証となりました。
 迫害がひどくなってきて、ドミティアヌスによる迫害が見えてきたのかもし
れません。
 これ以後、黙示録は、天的勢力と悪魔的勢力の戦いとなってまいりますが、
悪魔的勢力の台頭する時ほど、終末の救いに近い時でもあることを、私たちの
歴史観として見通しておきたい、と思います。

(この項、完)



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