2020年03月15日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第24回「ヨハネの黙示録3章9〜10節」
(15/12/6)(その1)

9〜10節「見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たち
には、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、
彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、私があなたを愛していること
を彼らに知らせよう。あなたは忍耐についての私の言葉を守った。それゆえ、
地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあ
なたを守ろう。」

 フィラデルフィア教会への手紙の2回目です。
今までの各教会への手紙のパターンから言えば、2回目は、各教会が抱えてい
る困難の記述でした。全部振り返ってみますと、エフェソ教会は異端教師の追
い出し、スミルナ教会は、権力と結びついたユダヤ人の圧迫、迫害、ペルガモ
ン教会とティアティラ教会とサルディス教会とは、現れ方は異なれども、「自
分たちは既に救われているので、何をしても良いのだ」と考える「高慢」との
戦いでした。
 で、フィラデルフィア教会においては、スミルナ教会と同じく、権力と結び
ついたユダヤ人による迫害の問題であることは、9節に明らかにされています
ので、、そこを明らかにしてから、話を始めました。
 で、その迫害の状況については、9節以下で明らかになるはずでした。とこ
ろが、これから見ていきますように、ユダヤ人に対して天上のイエスがなされ
ることが記されているだけで、迫害の状況はこれっぽっちも触れられていませ
ん。
 で、前回、紀元後2世紀初めに記された「イグナチウスの手紙」にもユダヤ
人の圧迫が示唆されている、と申しましたけれども、実は、ユダヤ教の、イエ
スを認めない考えが押し付けられていることが示唆されているだけで、何ら具
体的な圧迫、迫害が触れられているわけではありません。むしろ、フィラデル
フィア教会の歩みは比較的順調であって、教会員が監督、長老団、執事のもと
に一致するように、と勧められているのです。
 はてはて困った。迫害が具体的に書かれていない、ということをどう解釈す
るか、です。書いてないのだから、迫害はなく、「イグナチウスの手紙」にあ
るような、ユダヤ教の押しつけがあっただけだ、と解釈するか、あるいは、厳
しい迫害があったが、それは周知の事実であるので言われていない、と考える
か、どちらかです。その場合、「イグナチウスの手紙」の時代には、激しい迫
害は収まった、ということに成るでしょうが、皆さんどうしましょう。
 「私はこう思う。」「いや、私はこう思う。」と言い合うことも可能ではあ
りますが、何か、考える足掛かりはないのでしょうか。
 それがあるのです。それは、10節の「忍耐(ヒュポメネー)」という言葉です。
フィラデルフィア教会の教会員は「「忍耐(ヒュポメネー)」を体験したことが
言われています。
 「忍耐(ヒュポメネー)」は、ローマの信徒への手紙5章などで触れられてい
るように、クリスチャンのコの一つです。しかし、黙示録では、耐えるは耐え
るのだが、かなり厳しい状況で耐えることがこの言葉で示唆されています。た
とえば、2匹の獣の出現で、多くの死者が出たことが記されている13:10など。
 そして、フィラデルフィア教会と同じような、ユダヤ人による迫害体験をし、
10日間にわたって投獄され、死者が出たスミルナ教会の場合でも、スミルナ教
会員は「忍耐(ヒュポメネー)」をした、とは言われていませんでした。
と言うことは、実は、フィラデルフィア教会はかなり厳しい迫害体験をした、
そしてそれはスミルナ教会の「10日間にわたる投獄、そして、死者が出た」と
いうケースよりも、もっと、どの程度のもっとかは分かりませんけれども、厳
しいものであったことが分かるのです。
こりゃあ、えらいこっちゃです。

(この項、続く)



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