2020年03月01日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第24回「ヨハネの黙示録3章7〜8節」
(15/11/29)(その1)
7〜8節「フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、
真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、だれも閉じることなく、
閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。「わたし
はあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。
だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉
を守り、わたしの名を知らないとは言わなかった。」』
さて、私たちはいよいよ、第6番目の教会、フィラデルフィアの教会への手
紙に入ってまいります。
今まで、2回ほど、ティアティラ教会とサルディス教会のことですが、比較
的平和な教会への手紙を扱ってきて、私たちはそれほど多くのアドレナリンの
分泌なしに読むことができました。最初に、ヨハネの黙示録は、ローマ帝国の
組織的な迫害が始まった時代に書かれた書であり、教会がドミティアヌス帝の
下で、キリスト教の礼拝そのものを否定する、ちょうどユダヤ教徒において、
神殿が破壊されると同じ効果を持ってしまった迫害にどう対処するか、との課
題を抱えた書である、と申し上げたので、「なーんだ。それほどでもないじゃん。」
と思われた方も多いことと思います。
しかし、時代の流れが、キリスト教否定の方に流れていることは確かなので、
一見平和に見えても、迫害はしばしばいろいろな形をとって表面化する。そう
いう時代だったのです。安保法成立後の「今の」日本そのものです。
で、この教会に加えられた迫害は、スミルナ教会の場合と似ていますので、
フィラデルフィアがどのような町であるか、に触れる前に、スミルナ教会に加
えられた迫害についてふりかえっておきましょう。
スミルナにおいては、ユダヤ人が大変に大きな勢力を持ちしかも、ローマの
権力と結びついていました。そこで、ユダヤ教徒による圧迫が、異教徒そして
ローマ帝国と結びついて、いや、三者一体となって行われたのです。そしてそ
の迫害は死者を出すまでに至ったと考えられます。
繰り返しになりますが、そして9節に出てくる言葉で、今日の範囲を超えま
すが、「サタンの集いに属している者ども」という訳は大変にまずい訳です。
原語は「スュナゴーゲー・トゥー・サターナ」です。(著者が)非難しているの
は、現地(スミルナ)にあるシナゴグなんです。シナゴグが神のみ心に適って
いない、と言っているのです。正しい訳は、「サタンのシナゴグとなってし
まったシナゴグに」です。
よって、スミルナ教会では、実際に、事実、教会員のうち何人かが投獄され、
そして、十日間拘留され、そして更に、死者が出たことが窺われるのです。
この教会に対して、「死に至るまで忠実であれ」という勧告が与えられまし
た。が、それは決して「殉教せよ」、との命令ではありません。「生き残った
人」に対して、おびえていることと思いますが、「良く生きる」こと。自分な
りに精いっぱい生きる、ということが「生き残った人」だからこそ、求められ
ている、ということを学びました。
おそらく、似たような事態が、このフィラデルフィアの教会においても起
こっていることを予測しつつ、まず、この教会の場所から入って行きましょう。
フィラデルフィアという地名は、ギリシア語で「兄弟愛の町」という意味で
あり、現在、アメリカの東海岸にその名を持つ都市がありますが、それは、黙
示録のフィラデルフィアとは全く関係がありません。この町は、サルディスの
南東45qにあり、紀元前2世紀にペルガモンの王、アッタロス2世・フィラデ
ルフスによって建てられた町です。彼の名に因んで、命名されました。
しかし、当時のこの町の性格についての情報はほとんどありません。紀元後
17年に大地震に見舞われ、帝国の援助で再建がなされたことぐらいです。ディ
オニッソスの神殿がありましたが、その影響については、黙示録では全く触れ
られていません。
それよりも、この教会の問題点は、ユダヤ人ないしはそれと結びついた権力
によって、圧迫ないしは迫害が行なわれていたことでした。それは、次週取り
上げます9節以降であいまいではありますが、触れられているばかりではあり
ません。2世紀の初めにイグナティウスが書いたフィラデルフィア教会あての
手紙でもそれは触れられているのです。
(この項、続く)
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