2020年01月12日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第20回「ヨハネの黙示録2章24〜29節」
(15/10/11)(その1)
本日はティアティラの教会の3回目、まとめ部分です。
早速今までの振り返りから入ってまいります。
ティアティラ教会で問題になっているのは、イゼベルという女性の存在です。
「イゼベルという女」という表現からは、「いかがわしい女性」を連想する方
もおられるかもしれません。しかし、そこのところは先週の説教で強調して説
明したところでして、「女」と訳されている語の原語は「ギュネー」という語
であるということです。ということは、成人した女性、結婚して社会的地位も
確立した女性であった、ということです。「婦人」という訳が最も適切であり、
この方は「婦人会長」でいらしたのかも知れないのです。これは先週触れませ
んでしたが、この人をビショップ(後に司祭に発展していく地位)の妻、ある
いは、アジア州総督の妻であった、と考える人もいます。
つまり、それだけ信用、信頼があったがゆえに、教会員に悪い影響、悪影響
を与えてしまっていたのです。
与えた悪影響は、「みだらなことをさせ」「偶像に献げた肉をたべさせ」と
言われていますが、これは先週申し上げたように、聖書において姦淫とは他の
神(々)に心を寄せる事でありますから、実際にあったのは「偶像に献げた肉を
食べさせる」ことだったのではないか、ということです。
先週は、そこで、教会の中で信用ある立場にいる方ほど、人に悪影響を与え
ないように注意しましょう、で終わってしまったのですが、今日は、「偶像に
献げた肉をたべさせ」ることがなぜいけないのか、というあたりから入ってま
いりましょう。
24節「ティアティラの人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタン
のいわゆる奥深い秘密を知らないあなたがたに言う。わたしは、あなたがたに
別の重荷を負わせない。ただ、私が行くときまで、今持っているものを固く守
れ。」
ここからは、そして今日のテキストのテーマは、「ティアティラの人たちの
中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らな
いあなたがたに言う。」とあるごとく、ティアティラの教会員の中で、イザベ
ラの教えの影響を受けなかった人への勧めと励ましなのですが、その前に、
「イザベラの教え」の影響を受けた人のことを「サタンのいわゆる奥深い秘密
を知」る、と言っていることに注目してまいりましょう。
「サタンのいわゆる奥深い秘密」の原文は「サタンのいわゆる深み」です。
「深み」とは何か。「降りていくのが大変で、容易には探査できない場所」の
ことです。それで旧約聖書ダニエル書2:22(LXX)では「奥義」と訳され
ています。ローマの信徒への手紙11:33でもこの語は使われておりまして、
「神の富と知恵と知識」の深さを表わしています。
つまり、この語は、神に喜ばれるものであるにせよ、そうでないにせよ、「深
い知識」を表わす語だったのです。
それでは、イザベラとそれに従う人々は、一体どのような「深い知識」を得
た、と主張していたのでしょうか。
それが、黙示録には直接触れられはいませんが、当時の時代の思潮などから
鑑みるに「グノーシス」の走りであったと考えられるのです。
「グノーシス」とは「知識」という意味の語ですが、後に教会内に「グノー
シス派」というグループができました。このグループは、「神の深みを知って
いる」と主張していました。そして、「神の深みを知っている」者は、道徳か
らも解放されているし、何を食べても自由だ、と主張しました。
ティアティラの教会は、「グノーシス派」がいた、と考えるには、まだ時代
的に早いです。しかし、「走り」がいた。きっと「神の人」は、深い知識を
持っているがゆえに、何をしても自由だし、もう救われてしまっているのだか
ら、自分の救いに何の影響もない、と考えていたのです。
「偶像に献げた肉をたべる」ことは、ただそれだけではどうってことない
じゃん、と思った方も多いかもしれませんが、この行動の背後には、以上のよ
うな思想的背景、いや思想の萌芽的背景があったのです。
この思想ないしは、思想の萌芽は、神のみ心に適うものでしょうか。この辺
の教義は、後になって整備されてくることとなるのですが、パウロの言うごと
く、人が救われるのは、「身に着けた知識、霊力」によるのではなく、「キリ
ストの贖い」によるというのが、キリスト教のオーソドックスな考え方です。
(この項、続く)
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