2019年10月27日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第15回「ヨハネの黙示録2章12〜13節
(15/9/6)(その2)
(承前)

 そうではありません。「生き残った人」が、勇気を持って生きることが勧め
られているのです。「生き残った人」、おびえていることと思います。でも、
「死に至るまで」自分なりに精いっぱい生きる、ということ、それが殉教者と
同じく、イエスに高く評価されているのです。
 そして、今日から第三の教会であるペルガモンの教会への手紙を取り上げま
す。実はペルガモンの教会は、分派争いと迫害と両方の困難を抱えている教会
だったのです。そんな教会があるのか、という疑問も含めて、三回にわたって
丁寧に見ていくことといたしましょう。
 まず、最初にペルガモンとはいったいどこなのだ、というところから入って
まいります。
 ペルガモンという町は、私自身は行ったことがないので、私自身の五感感覚
では分からないのですが、スミルナから更に80q北にある地です。80qと言う
と、東海道線では、東京駅を出まして、小田原の一つ手前、鴨宮までの距離で
す。現代ではさほど遠い距離ではありませんが、当時は、「かなり離れている」
という感覚だったことと思います。違う文化圏だったということです。
 そう、エフェソ、スミルナとは違う発展をしました。紀元前252年、この地に
ペルガモン王国という王国が形成されました。そして、紀元前133年まで続きま
した。あのベルリンにあるペルガモン博物館にあるゼウス神殿は、この時代の
ものです。が、その後ローマの属州アシア州の首都となりました。のち、首都
の地位をエフェソに奪われますが、一時期首都であったことは確かです。その
ため(と思われますが、)アウグストゥスはこの地に自分と女神ローマとを祀
る神殿を立てさせました。後の皇帝、トラヤヌス帝、セルヴス帝もそうしまし
た。よって、この地は「皇帝礼拝のメッカ」でした。
 しかし、忘れてはならないのは、この町に、黙示録には名前は一切触れられ
ていませんが、「アスクレピオス」の神殿もあったことです。「アスクレピオ
ス」は漫画にもなってご存知の方も多いことと思いますが、ギリシアの医神で
す。今その遺跡が残っているそうですが、当時最高峰の医療センターがあり、
治療施設、図書館も完備していたそうです。しかし、治療が行われたばかりで
なく、医師は「アスクレピオス」の神殿に仕える者でなければならなかったの
です。
 ちなみに、ペルガモンの「教会」については、新約聖書はもちろんのこと、
使徒教父文書にも一切記述がなく、本当にここに教会があったかどうかさえ、
疑おうとすれば疑えるのですが、後の時代にこの地で4名の殉教者が出た、と
の伝承があり、黙示録の時代に教会が存在していたことは、一応確かなことと
考えてよろしいか、と思われます。
 さて、本題に入りましょう。まず、どの教会への手紙でも最初に触れられて
いる「その教会で何があったか」という問題を今日は取り扱います。
 それについては、次のように書かれています。「そこにはサタンの王座があ
る。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アン
ティパスが、サタンの住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、私に対
する信仰を捨てなかった。」
 アンティパスという一人の教会員が、サタンの王座の迫害を受けて、殉教し
ました。「サタンの王座」という新約聖書の他の箇所では出てこない表現が出
て来て、私たちは度肝を抜かれますが、これが何を指すのか、それが問題です。
かしそれについては、後で触れることといたしましょう。しかしながら、とも
かく教会は主イエス・キリストを告白することを守り、やめなかった、という
のです。
 これは素晴らしいことです。もちろん、迫害と殉教は悲しい出来事であり、
できるならば避けたい出来事でしたが、それにも拘わらず、他の教会員が動揺
しなかったからです。サラミスの教会ではそれができずに、主イエスの励まし
を必要としていたからです。
 ペルガモンの教会は、主イエスから全面的に称賛されて、サラミスの教会以
上に称賛されてしかるべきなのではないでしょうか。
 ところが、次回、次々回に学ぶ、中段、後段をちらちらっと見ると、およそ
褒められる状況からは程遠かったことが分かるのです。そのイエスの叱責の内
容、そしてイエスの処分については、次回、次々回に譲るとして、今日は、こ
の殉教事件についての疑問から、真相を暴く第一歩を踏み出したい、と思いま
す。
 まず、先ほど名前だけあげました「サタンの王座」ですが、3つの可能性が
あり、それゆえ3つの迫害の可能性があります。第一は、「サタンの王座」は
ローマの皇帝礼拝の神殿のことであり、よって迫害はローマ帝国による迫害で
ある、とする説です。第二は「サタンの王座」はゼウス神殿のことであり、迫
害はゼウス神殿関係者によってなされた、とする説、そして第三は「サタンの
王座」は「アスクレピオス」の神殿であり、「アスクレピオス」の神殿関係者
により迫害がなされたとするものです。

(この項、続く)



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