2019年09月15日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第12回「ヨハネの黙示録2章8〜9b節
(15/8/16)(その1)


8〜9節「スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最
後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。「わ
たしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなの
だ。自分はユダヤ人であるという者どもが、あなたを非難していることを、私
は知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者
どもである。」

 エフェソ教会へのお手紙を終了し、今日から、スミルナ教会へのお手紙に入
ります。
振り返ってみますと、エフェソ教会へのお手紙は三部構成でした。
 まず、教師間に争いがあったとき、エフェソ教会は双方を徹底的に調べ上げ、
片方を「偽教師(「偽」とは、キリストに反する者との意味です)」として判
断し、放逐しました。そのことがイエスに褒められています。
 しかし、長年にわたる内部紛争の結果、疲れが生じ、精神の、信仰のゆるみ
があった、そのことが責められています。「想起」「悔い改め」「実行」によ
るリハビリが必要とされています。
 そして第三に、兄弟、教会員同士でも、異なった教えを持つ者を憎むことが
勧められています。主の名が冒涜された時、主ご自身はこのことを憎まれるの
ですから、主が憎んでおられるとするならば、私たち自身も憎まねばならない
のです。
 以上、内部紛争を経験した者、教会はそれが解決した後も大きな重荷を歩ん
で行かねばならないのです。
 しかし、前回触れられなかったところですが、その重荷を負い続けることが
できたならば、「神の楽園にある命の木の実を食べさせよう(7節)。」アダム
とエバにも許されなかった特権が用意されていることを覚え、たとえ、どんな
に辛くとも、励んでまいりましょう。
 さて、そのエフェソ教会への手紙を前提に、スミルナ教会への手紙を見てい
きますと、全く雰囲気が違うことに気づくのです。それは何か、と言いますと、
お叱りの言葉が全くない、ということです。なぜなのか、そして、それは何を
意味するのか、この2点を中心に、スミルナ教会への手紙を見ていくこととい
たしましょう。
 まず、スミルナという町、そしてスミルナ教会についてですが、私たち、
ローマの信徒への手紙、使徒言行録を連続講解説教によって、丁寧に見てきた
者にとりましても、未知です。
 実際、ローマの信徒への手紙を始めとするパウロの書簡、そして使徒言行録
には、スミルナ教会はもちろんのこと、スミルナという地名も一切出てきませ
ん。よって、黙示録が書かれた時代、スミルナ教会なるものが存在していたか
どうかさえ確認できません。逆に、黙示録に記されているから教会があったの
だろう、としか言いようがないのです。
 しかし、使徒言行録が記録している時代の約20年後に記された「イグナティ
ウスの手紙」においては、イグナティウスが、処刑のためにローマに護送され
る途上、スミルナ教会に寄って、4つの手紙を書き、また、トロアスからスミ
ルナ教会およびその監督のポリュカルポスに手紙を書いていますので、イグナ
ティウスの時代には、スミルナ教会があったことは確かです。
 パウロが立ち上げた、と考えることは困難ですが(4世紀の「ポリュカルポ
ス行伝」の中でそう言っている)、黙示録の少し後の時代には、あったことが
確認されています。
 さて、それでは、スミルナの町はどのような町で、スミルナ教会はどのよう
な教会だったのでしょうか。
 スミルナの町については、エフェソの北、約60キロのところにある、エーゲ
海に面した、大変に美しい町だ、ということです。古代から都市があったよう
ですが、紀元前6世紀に破壊され、紀元前3世紀初めにリシマクスによって再
建されました。建設当初から、黙示録の時代まで、小アジアにおいて最も豊か
な町の一つであり続けました。
 また、特筆すべきことは、この町は、紀元前195年にローマの女神の神殿を
奉納しました。その功績が認められ、紀元後26年にティベリウス、その妻リ
ディア、そして元老院のための神殿を小アジアに造るという企画が持ち上がっ
た際、他の諸都市(エフェソなど)との激しい候補地争いに勝って神殿を建立
し、帝国の「ネオクラート」としての地位を確立した、ということです。
 つまり、この町は、異教的な町であると同時に、ローマの権力と密接に結び
付いた町だったのです。
 エフェソも、アルテミス神殿の門前町で、パウロはエフェソでの宣教に大変
に苦労しました(使徒言行録19章)。スミルナの場合には、そのような異教の
宗教性とともに、ローマ帝国の権力が強く働く町でしたから、スミルナの教会
の設立、そして、教会形成には、どれだけ多くの苦労があったことでしょうか。
が、その苦労については、一切知られていません。よって、スミルナ教会がど
のような教会であったのか、もちろん良い点と同時に問題点も抱えていたこと
と思われますが、それについても一切知られていません。

(この項、続く)



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