2019年06月02日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第4回「説教「ヨハネの黙示録1章7節」
(15/5/17)(その2)
(承前)

13〜14節「夜の幻をなお見ていると、見よ、『人の子』のような者が天の雲に
乗り、『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を
受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、
その統治は滅びることがない。」

そして、ゼカリヤ書9:10は次のとおりです。

9〜10節「その日、わたしはエルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、
彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、
初子の死を悲しむように悲しむ。」

 どちらも、旧約の預言者たちが、世の終わりに起こる出来事について、裁き
について、黙示を書き記したものです。
 そして、これらの言葉はユダヤ教において語りつがれ、ふくらまされ、そし
て、あのユダヤ戦争の前に、最中に、目の前の現実と、結び合わされて、語ら
れたのでした。
 そこには、預言者たちが期待した通りのことと、そうではないこととが起こ
りました。
 その日は、エルサレム滅亡の日は、アナニアのイエスが唱えたように、エル
サレム住民、イスラエル諸族にとって「滅びの日」でした。イスラエル十二部
族は、「独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。」こと
となりました。
 しかし、一方で「『人の子』のような者が天の雲に乗り、」やって来て、
「エルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。」ことは決して起こりま
せんでした。ユダヤ戦争の後期、神殿外庭の柱廊上に避難して、『人の子』の
到来を、そして、ローマの滅亡を祈り求めていた6,000人の市民がいたのですが
、下から火を放たれて、全員が滅亡した(「戦記」Y、281-7)と伝えられて
います。
 そして、ユダヤ教は、ごく一部を除いて全滅し、キリスト教は、異邦人世界
に活路を見いだして、新たな希望に満ちた歩みを始めたはずでした。しかし、
そのキリスト教も、ユダヤ戦争後50年もたたないうちに、何とその異邦人世界
から激しい迫害を受け、今度は自分たちが、絶滅の危機に立たされているので
す。
 ユダヤ教徒が空しく「期待外れ」を経験した、旧約聖書以来、伝えられてき
た「黙示」の言葉を、今、キリスト教徒が直面している現実の中で、どのよう
に再解釈していったらよいのか。
 その苦悩の末の結論が7節なのです。
まず、終わりの時ですが、やって来られるのは、「『人の子』のような者」で
はありません。明確にキリスト、再臨のキリストです。
 原文では、主語がない文章で記されています。動詞の形から、三人称単数男
性形であることは分かります。日本語では、動詞の形から主語を推測すること
はできませんから、新共同訳聖書では「その方」と訳さざるを得ませんでした
が、実は、主語は読者の推測に任されています。ということは、「暗号」を
もって、明確にイエス・キリストが暗示されているのです。
 さて、イエス・キリストがもう一度来られて、何をされるのでしょうか。言
い方を変えると、何をなさるために、キリストは再び来られるのでしょうか。
 それは、救いに漏れた人を救い上げるためでしょうか。そうではありません。
イエス・キリストの救いは既に、十字架と復活という形で完全に示されました。
にもかかわらず、それに従おうとしない者、受け入れない者、さらには、迫害
を加える者への「裁き」のためなのです。
 キリストが再臨されるときの3つの出来事が記されています。順番に見てい
きましょう。
 まず、「すべての人の目が、彼を仰ぎ見る。」です。これは、再来のキリス
トを見つめる期待の目でしょうか。そうではありません。裁きを恐れるおどお
どした目です。私も経験がありますけれども、皆さまも、こういう目をもって
人を見つめた、「忌まわしい」経験がおありなのではないでしょうか。
 そして、2番目。この辺はゼカリヤ書と一緒で、「ことに、彼を突き刺した
者どもは。」は、キリストに逆らった者が思い出す、苦い経験を指します。い
ないから大丈夫だ、と思って、失礼なことを平気でしていたところ、何と思い
もかけず、その当人が目の前に現れて来てしまったときの、あの気まずい思い
です。
 そして3番目。「地上の諸民族は、彼のために嘆き悲しむ。」です。そして、
この反キリストの罪は、ユダヤ人だけではなく、今や、異邦人全体にも及ぶこ
ととなってしまったのです。イスラエルの十二部族だけではありません。あの
ペンテコステの時には、希望に満ちた、神の御言葉の受け手であったはずの異
邦人社会まで、反キリストは蔓延し、今や地上のすべての民族が、「彼のため
に嘆き悲しむ」のです。

(この項、続く)



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