2019年04月14日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第116回「使徒言行録28章30〜31節」
(15/3/29)(その3)
(承前)

 ですから、パウロ場合、ここからは推測ですが、当時囚人に何かの仕事をさ
せる制度があって、しかもある程度の報酬が支払われていて、その収入をパウ
ロは自由にできた、ということなのではないか、と私は思います。
 ある程度の収入があって、パウロは自由な行動がとれたのです。
しかし、一方、「オックスフォード希英辞典」という権威ある辞書が、「ミス
ソーマ」を「借家」と訳しているので、みんなその訳になってしまっているの
ですが、「ミスソーマ」の意味を本当に確定するためには、当時の囚人の待遇
を含め、もう少し研究が必要なように思います。
 しかし、何らかの「報酬」を得ていたにせよ、「借家」に住めていたにせよ、
パウロには自由があり、囚人のまま、自由に活動することができたのです。
 さて、そこでパウロが2年間していたことです。

30節後半〜31節「訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げも
なく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

 パウロはだれかれとなく歓迎しました。ここには深い意味があります。ローマ
ですから、異邦人社会ですが、ユダヤ人も含まれていた、ということです。そ
して、ユダヤ人こそパウロのターゲットだったのです。パウロは決してあきら
めてはいなかったのです。
 そして「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」正
統な宣教活動です。と同時に、これは、23節と同じく、特にユダヤ人に向けて
のメッセージでした。パウロはユダヤ教徒に対して、キリスト教への改宗を強
く勧め続けた、これがパウロのローマでの活動のすべてでした。
 私自身は、死刑囚の方と牧師として触れあったことはありませんが、命が人
為的な事柄で制限されている、ということは、どのような思いをもって日々を
暮していらっしゃるのでしょうか。
 その追い詰められた日々の中で、パウロはただ一念、ユダヤの救いのために
残された人生を献げていました。
 異邦人の使徒という彼のタイトルにそぐわないように思えるかもしれません。
が、何の矛盾もありません。身近にいる人に救いをもたらす、たとえ自分は死
んでも、愛する人に救いをもたらしたい、これが、すべての伝道の基本なので
はないでしょうか。

(この項、完)


第1回「ヨハネの黙示録1章1〜3節」
(15/4/12)(その1)

1〜3節「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのこと
を、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストが
その天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉
とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。
この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人た
ちとは幸いである。時が迫っているからである。」

 使徒言行録の講解がやっと終わったと思ったら、今度は、わけのわからない
ヨハネの黙示録の講解とは、とあきれられた方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、実は、神の救済の歴史の中で、使徒言行録とヨハネの黙示録は接続
している、と言ってもいいくらいなのです。
 使徒言行録の終わりの部分を振り返ってみましょう。
囚人としてローマへ護送されたパウロでした。ローマでのパウロの暮らしぶり
については、使徒言行録の「表現」を真に受けて、非常に楽観的に考える人と、
そうでない人とに分かれますが、そして私は「そうでない人」の一人で、実際
には、兵営の中で、暮らしていたに過ぎない、と考えていますが、それでも自
由な時間があったことは確かでしょう。
 それで、その自由な時間を用いて、パウロが何をしていたか、ということが
問題です。特に異邦人、ギリシア人を対象に異邦人伝道をしていたか、という
とそうではなくて、ローマ在住のユダヤ人の有力者、シナゴグのリーダーたち
を相手に、ユダヤ教からキリスト教に移るように、説得、改宗を強く勧めてい
たのです。
 この説得工作は失敗、すなわち、誰一人として、キリスト教に改宗する人は
いなかったのですが、パウロはそれでもユダヤ人が救われることを決してあき
らめなかった、というところで使徒言行録は結ばれているのです。
 異邦人の使徒であったはずのパウロが、なぜ、ユダヤ人の救いにそれだけこ
だわったのか、というところで、時代の背景の話になって行くのですが、

(この項、続く)



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