2019年03月24日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第116回「使徒言行録28章30〜31節」
(15/3/29)(その2)
(承前)

 しかし、よく読んでみると、そうではない。パウロは、イザヤ書6:9〜10の
テキストを巧みに改変し、最後にユダヤ人に救いがもたらされるように読める
ようにしている。さらに、28節は、本当に「この神の救いは異邦人にも向けら
れました。」すなわち、ユダヤ人が救いから除外されてしまったのではないこ
とを、こっそりとですが、きちんと伝えているのです。
 実際、ユダヤ戦争に際し、ファリサイ派の一部は、神殿を捨て、これはユダ
ヤ教徒にとっては大変なことです、エルサレムを脱出し、ヤブネというところ
にサンヒドリンを移して、ユダヤ教の命脈を保ったのです。そこまでは行った
のです。
 もちろん、いつのことであるか、は分からないかもしれません。しかし、や
がていつかの時、現ユダヤ教徒とキリスト教徒が、共に手をたずさえて神を賛
美する時が来るであろうことを、パウロは信じていたし、私も信じています。
あきらめてはいないのです。
 それで、その第一次説得工作が失敗した後、パウロが何をしていたか、とい
う話になるのですが、その前に、その後のパウロの生活について触れてまいり
ましょう。

30節「パウロは、自費で借りた家に丸2年間住んで、」

 ここは、理解するのが大変に難しい箇所です。
2つ問題があります。まず第一は、より簡単な問題ですが、「丸2年間」という
ところです。
 ここに翻訳上の問題はありません。原文の意味も2年間丸々という意味です。
しかし、2年間と期間が数字でもって区切られていることが問題です。丸々2
年たった後、パウロはどうしたのでしょうか。皇帝の裁判に臨み、死刑判決を
受け、処刑された、すなわち62年にパウロは処刑死を遂げた、と考えるのが常
識です。
 しかし、パウロは2年後に釈放されたのではないか、と考えて希望をつなぐ
人もいます。ある人は、ローマの法を頼りにします。ローマの法的規定には、
囚人を訴追する者が2年間現れなかったならば、その訴追は消滅し、囚人は釈
放される、という規定が確かにありました。それを根拠に、2年たって、パウ
ロは自由になり、もっと自由に宣教に従事した、と考えます。そうだったらい
いですね。
 ところが、この規定ができたのは、AD529年、パウロよりもずっと後のこ
とです。そして、しかも、AD385年と409年にテオドシウス帝は、2年たって
訴追者が現れなかったら、その囚人は処刑される、という全く逆の規定を定め
ているのです。パウロはだめです。
 また、ある人は、一時的な釈放だったらあったかもしれない、と考えます。
あのキリスト教徒迫害を行い、そしてユダヤ戦争を引き起こしたネロも、初期
のころは、哲学者セネカを家庭教師としており、寛大であったからです。しか
し、これもあったらいいな、という程度の話です。残念ながら。
 基本に立ち返って考えてみると、もしもパウロ釈放という「喜ばしい」事態
があったとすると、使徒言行録の著者ルカが報じない訳がありませんので、残
念ながら、そして悲しいことですが、私たちは2年後のパウロの処刑死を受け
止めない訳にはいかないのではないでしょうか。
 しかし、パウロはそれまでの間を無駄には過ごしていなかったのです。かな
り自由な生活を確保されて、です。が、その自由な生活というのが、いかなる
ものであったのか、全然見当がつかないのです。
 翻訳では、「自費で借りた家に住んで」と訳されています。「借りた家」と
訳されている語、原文は「ミスソーマ」と言います。普通「借家(ハイヤード
ハウス)」と訳されています。借家には家賃が必要です。原文には、「自分の
自由意思に従って」という意味の語が使われているので、「自分で家賃を払っ
て」という訳になるという訳です。
 しかし、囚人が拘留中に借家を借りることが許されたのでしょうか。日本の
法制度では聞いたことも見たこともありませんですね。それで、ほんとに借家
なのかどうか、私はLXXでの「ミスソーマ」の用例を調べてみたんですね。
そうしましたら、何と全く別の意味、「神殿娼婦に支払われる報酬」の意だっ
たのです。箇所としては、申命記23:18、箴言19:13などです。あってはいけな
いことですが、かつてはそういう職業がありました。その時サービスに対して
支払われた報酬が「ミスソーマ」だったのです。
 そして、類語で「ミスソートス」という語があります。こちらは「雇われ人」
、雇われる人のことです。マカベア一6:29では、こちらは男性で、「傭兵」
が「ミスソートス」と呼ばれています。
 語源は以上で、どうやら「ミスソートス」が「雇われ人」のこと、「ミス
ソーマ」はその「雇われ人」に支払われる「報酬」の意味と言えるようです。

(この項、続く)



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