2019年03月17日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第115回「使徒言行録28章25〜28節」
(15/3/22)(その3)
(承前)
愛があるとき、人はどうするか、コリント一13:4にあるごとく、まず忍耐
強く説得するのです。そして、今、説得が十分な成果を上げることができな
かった、という状態にある。それでは、次に何をするか。見棄てるのではなく、
警告を発するのです。次のイザヤ6:9〜10の引用は、断罪ではなく、愛にも
とづいた警告だったのです。
26節中段〜27節「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先
祖に語られました。
「この民のところへ行って言え。
あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認
めない。
この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち
帰らない。
わたしは彼らをいやさない。」
ほとんど、旧約テキストに忠実です。しかし、注目すべきは27節の最後です。
旧約聖書ヘブル語原典によれば、「悔い改めて、癒されることのないために。」
としか読めません。ユダヤ人に、ユダヤ教に救いはありません。
しかし、使徒言行録の引用、それはLXXの最新の版と一緒ですが、「わた
しは彼らを癒す」と読めるのです。
ルカは、ここでは救いの告知もこっそり込めたのではないでしょうか。
更に、28節、
「だからこのことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられま
した。彼らこそ、これに聞き従うのです。」についても、このように訳すのが
常識ではありますが、この神の救いは異邦人にも向けられました。」とも訳せ
るのです。
このパウロの警告にもとづいて、ファリサイ派の一部が脱出したことにより、
ユダヤ教の、少なくとも一部は救われたのでした。
これらのことをとおして、もちろん時代は異邦人教会の時代になって行くの
ですが、神のご意思は、決してユダヤ教の滅びを求めるものではない、つまり、
今はひとつになれないとしても、共に、神に愛された民として歩むことを求め
ておられる、とパウロもルカも受け止めていたことが分かるのです。
すでに、ローマの信徒への手紙の講解説教で学びましたとおり、パウロ自身
もローマの信徒への手紙11:25で言っています。
「兄弟たち(異邦人信徒)、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のよう
な秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人が
かたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イ
スラエルが救われるということです。」
パウロの説得によっては、今のところ、ファリサイ派の指導者の一部が神殿
礼拝から自由になっただけだったかもしれません。しかし、私たちも、パウロ
やルカと同じ思いをもって、やがて、神の民が一つとなることを求めてまいり
ましょう。
(この項、完)
第116回「使徒言行録28章30〜31節」
(15/3/29)(その1)
30〜31節「パウロは、自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれか
れとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・
キリストについて教え続けた。」
使徒言行録の最後の記述であり、同時にパウロについての最後の記述です。
大変に重要であり、しかも問題の多いこの箇所を、今日は丁寧に見てまいりま
しょう。
囚人としてローマに連れてこられたパウロですが、裁判そして判決までは時
間的にも、生活的にも余裕があったようで、その間に何をしていたか、という
問題です。
異邦人伝道をしていたのか、と思いきや、全くそうではありませんでした。
ユダヤ人のシナゴグの指導者、ファリサイ派を集めて説得工作をしていたので
した。
背景には、6年後に迫ったユダヤ戦争への危機感がありました。実際、この
戦争をとおしてユダヤ教はほとんど壊滅してしまったのです。
パウロは、ファリサイ派の指導者にユダヤ教からの脱出、すなわち、キリス
ト教への改宗を強く勧めていたのでした。
しかし、この説得工作は失敗しました。だれ一人、キリスト教徒になってパ
ウロの後について来る人はいなかったのです。
それで先週のところは、その訣別に際し、パウロがそのユダヤ人たちに愛想
を尽かした、すなわち滅びを宣言した場面である、と普通には受け取られてい
ます。
(この項、続く)
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