2019年03月03日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第114回「使徒言行録28章23〜24節」
(15/3/8)(その3)
(承前)
このイエスが、イエス・キリストと何らかのつながりがあるのか。はたまた、
キリスト教徒であったのかどうか、全く分かりません。
しかし、戦争中に、この戦争を「ユダヤ教の滅び。神の罰。」と受け止める
者もいたのです。
結果的に、この戦争で、ユダヤ教は、かろうじて逃げ延びたファリサイ派派
の一部の人々を除いて壊滅し、他方、キリスト教は、非戦論を訴え、しかも異
邦人伝道を通して、ローマ帝国全体に足場を移していたことにより、もちろん
その後ローマ帝国による迫害はあるのですが、生き残ることとなりました。
パウロもアナニアの子イエスと、同じ時代認識を持っていたのです。
24節「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしな
かった。」
この一言は意味深です。
パウロの説得を受け止めて、キリスト教に改宗した者もいたように受け取られ
るかもしれません。しかし、元ユダヤ教の指導者で、キリスト教に改宗した者
が本当におれば、パウロと同じですから、キリスト教史に当然名が残るのでは
ないでしょうか。
実際は名が残っていないことからして、「改宗者」は実はゼロだったのでは
ないでしょうか。
しかしそれでも「受け入れた」人がいた、としるされているとは、一体どう
いうことなのでしょうか。
それは、推測ではありますが、ファリサイ派に止まりつつも、ユダヤ教の滅
びについては、パウロと認識を同じくするところまでは行った人がいる、とい
うことなのではないでしょうか。
そして、ユダヤ教もファリサイ派のみは生き残ることができたのです。
神の裁きと救いのみ業は、そのような形で実現したのです。
(この項、完)
第115回「使徒言行録28章25〜28節」
(15/3/22)(その1)
25〜28節「彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウ
ロはひと言次のように言った。『聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しく
あなたがたの先祖に語られました。
「この民のところへ行って言え。
あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認め
ない。
この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち
帰らない。
わたしは彼らをいやさない。」
だからこのことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられまし
た。彼らこそ、これに聞き従うのです。』」
ローマでの、パウロの最後の説得の場面を学んでいます。
この説得工作は、2月22日(日)の説教から始まりました。
ローマでおそらく兵営に入ったパウロは、兵営に「おもだったユダヤ人たち」
を招きました。「おもだったユダヤ人たち」とは、シナゴクの指導者たちのこ
とで、おそらくファリサイ派、少なくともファリサイ派が主だったでしょう。
こんな人招いて、パウロはいったい何をするつもりなのだろう、と私たちは
思います。ところがここにパウロの同胞への愛があったのです。今日はこのパ
ウロの同胞愛がテーマです。
背景にユダヤ戦争への予感があったに違いないこともたびたびお話ししまし
た。
このユダヤ戦争については、実は、2011年2月6日(日)のマルコによる福音
書による福音書講解説教第74回で、イエス様が予告され、実際に起こった出来
事として触れました。少し長いですが、引用します。
「紀元後70年、ユダヤ戦争に際し、エルサレムはローマ軍によって包囲攻撃
されました。その時の状況は、ヨセフスによれば、次の通りです。すでに、反
乱は67年に始まっていましたが、ローマ軍による包囲攻撃が始まる前、追い詰
められたユダヤ軍は、69年秋から90年春にかけて、三派に分かれての内部抗争
をくりかえし、一方、神殿の至聖所はすでに、内乱の犠牲者の納骨堂となって
いたとのことです。そんな中、70年春、過越祭のころ、ローマの将軍ティトゥ
スの軍団が、エルサレムに到着しました。それでも、ユダヤ軍は内部抗争をや
めず、「裏切り者の処刑」を行っていたようです。ティトゥスは、エルサレム
の第三城壁の北に二軍団、東西に一軍団を配置して、エルサレムを包囲しまし
た。
(この項、続く)
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