2019年02月03日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第112回「使徒言行録28章17〜20節」
(15/2/22)(その3)
(承前)

 ですから、パウロの次の一言どおりなのです。「これは、決して同胞を告発
するためではありません。」正確に訳せば、「民族を告発するつもりはありま
せん」で、パウロの告発の相手は、ユダヤ民族ではなく、パウロに冤罪を着せ
た一部のディアスポラのユダヤ人だったのです。
 ところが、これが弁明であるとすると、パウロはこの弁明をする相手を間
違っているのではないでしょうか。弁明は、上訴した皇帝の法廷でこそなされ
るべきで、今、目の前にいる「シナゴグの指導者たち」は「パウロに冤罪を着
せた一部のディアスポラのユダヤ人」そのものなのではないでしょうか。だか
らです。パウロはここで「あなたたちを告発する」と面と向かって宣言したに
ふさわしいのです。すなわち、パウロはここで喧嘩を売った、ないしは脅しを
かけたのです。
 にもかかわらず、「だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたに
お願いしたのです。」とはいったいどういうことなのでしょうか。目の前で土
下座して謝らせよう、とでもいうのでしょうか。
 が、だとすると、次の「イスラエルが希望していることのために、私はこの
ように鎖でつながれているのです。」がつながりません。パウロは何とイスラ
エルのためを思っているのです。
 これは、「だからこそ」という翻訳が間違っているがゆえに、日本人読者が
惑わされている、ということなのです。原文は「いくつかの理由により」、
ニュアンスとしては「にもかかわらず」です。「あんたたちは敵なのだが、私
が犠牲となって、イスラエルの希望(存続)を共有したい、とパウロは言った
のです。
 なぜ、何をパウロは言ったのか。それは皆さまもうお分かりでしょう。ユダ
ヤの滅びです。それを防ぐために、パウロはユダヤ人の過去の罪のあくまでも
一旦ですが、負って、共に、イスラエルの滅びを免れよう、と訴えたのです。
最後の訴えをしたのです。
 カタストロフが迫っているがゆえに、事は急がねばならない。パウロは、
真っ先にユダヤ人指導者を呼んだのであります。その忠告の内容は次回に譲り
ますが、
 パウロのローマ生活は、隠退牧師が「のほほーん」と過ごしているような穏
やかなものではありませんでした。ユダヤの滅びを前にして、せっぱつまった、
イエスと同じく、悔い改めを求める日々であったのです。


第113回「使徒言行録28章21〜22節」
(15/3/1)(その1)

21〜22節「すると、ユダヤ人たちが言った。『私どもは、あなたのことについ
てユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟の
だれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこと
もありませんでした。あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。こ
の分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。』」

 先週は、とっても大事なことを申し上げました。よって振り返っておきたい
と思います。
 パウロがローマに入った後のことであります。17節の「三日の後、パウロは
おもだったユダヤ人たちを招いた。」という一言が大いに、議論、疑問を引き
起こしているのであります。
疑問点は2つあります。
 一つは、あれほど行きたかったローマに着いたのに、もちろん囚人という待
遇ではありますが、かなり自由な行動をとれていたのに、なぜ、真っ先にキリ
スト者の教会、教会という形は取れずに集会程度であったかもしれませんが、
を訪ねなかったのか、という問題であります。
 これについては、先週の説教の前半部分で少し丁寧に申し上げさせていただ
きました。使徒言行録から分かる範囲内ではありますが、クラウディウス帝の
時に、キリスト者も含めて、ユダヤ人がローマから追放される、という迫害が
あったこと、そして、使徒言行録においては、「ローマの教会」という呼び方
は一回も用いられておらず、組織の整った教会が形成されていた形跡がないこ
と、などです。
 よって、パウロ一行がプテオリに到着したと知るや否や、ローマのキリスト
者たちが、63.64qないしは48.84qの道のりをおそらく歩いて、アピイフォル
ムないしはトレス・タベルネまで迎えに出て来てくれたこと、このことで、出
会いは十分に満たされた、と考えられるのです。
 次に、それならそれで、パウロがなぜ、直ちに宣教活動に入るのではなく、
ユダヤ人の主だった人たちを招いて、「ユダヤ人の主だった人たち」とは、ユ
ダヤ教のシナゴグのリーダーたちです、懇談の時を持ったのか、これが最大の
疑問であり、パウロの行動を理解する要なのです。ここを踏み外してしまうと
、パウロが何のために何をしているのか、わからなくなってしまう。

(この項、続く)


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