2019年01月20日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第111回「使徒言行録28章16節」
(15/2/15)(その3)
(承前)

 ですから、28:16においても、パウロがどこかに「住んだ」ことを言っている
のではなくて、「滞在した」ことを言っているのです。
 次に「自分だけで」と訳されている部分です。原語は「カスヘアウトン」と
記されています。「カス」とは「カタ」とも言い、「何々に従って」という意
味です。「へアウトン」とは「自分」の意味で、そのまま訳すと「自分に従っ
て」となります。
 「自分に従って」とはどういう意味なのでしょうか。また、ここで言われて
いる自分とは、いったい何なのでしょうか。
 ここで注目すべきは、使徒言行録12:11です。ペトロが天使の導きに従って
牢から救い出された場面です。救われた後、ペトロは本心に帰って(翻訳は
「我に返って」ですが)、天使が自分を救い出してくれたことを自覚しました。
この用例から分かるように、「自分」とは本当の自分、ありのままの自分のこ
となのです。使徒言行録で23回の用例の内、18回がこの意味で使われています。
 結局、「メノー」「カスヘアウトン」というと、「本当の自分に従って滞在
した」という意味になるのです。これが、なんで、「自分だけで住む」という
訳になってしまうのか、私には理解不能です。「だけで」などという言葉はど
こにもありません。もちろん「住む」という言葉もありません。ここから分か
ることは、パウロが兵営の中なのか、外なのか、分かりません。しかし、いず
れにしても、「自分の意志がとおせる形で滞在していた」それだけのことなの
ではないでしょうか。
 ここから先はわたしの推論ですが、パウロがローマにいたこの時期を考える
と、ユダヤ人に対する風当たりは少しずつ強くなっていたはずです。少なくと
も、だんだん厳しくなっていた時代です。そんな時代に一戸建てはないでしょ
う。実際は兵営の中で監視下の下にあった、と私は考えます。
 しかし、パウロは自由を持っていた。どういう自由でしょうか。それは
「精神の自由」です。フランクルの言う、「たとえ、強制収容所の中にあって
も、人間は、自分のことは自分の意志で決めることができる。」という「精神
の自由」です。
 パウロは、獄中にあっても、その「精神の自由」を持っていた。そして、4
年後、6年後に迫りくるカタストロフの予感のうちに心の準備をしていたので
はないでしょうか。
 なぜ、パウロがそのような「精神の自由」を持ち得たのでしょうか。それは、
今の自分が、たとえ囚人の身であったとしても、神の御計画の一部を担ってい
る、という信仰があったからです。
 わたしたちも、今の私がここにあることは、神の御計画のうちに必ず意味を
持っていることを決して忘れないようにしたいものだ、と思います。

(この項、完)


第112回「使徒言行録28章17〜20節」
(15/2/22)(その1)

17〜20節「三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集
まって来たとき、こう言った。『兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣
習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人と
してローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べ
たのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったの
です。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、私は皇帝に上訴せざるを得ませ
んでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、
お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希
望していることのために、私はこのように鎖でつながれているのです。』」

 先週は、ローマでパウロが兵営の中なのか、外なのか、分かりません。しか
し、いずれにしても、「自分の意志がとおせる形で」滞在していたことを学び
ました。
 本日は、その「自分の意志がとおせる形で」、パウロが何をしていたのか、
に焦点を絞って学んでいきたい、と思います。
 早速テキストに入って行くことといたしましょう。
17節前半「三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。」
この何気ない17節の出だしの一言、これは、今まで使徒言行録を読み進んでき
た私たち、そして、すべての読者にとりまして大変ショックな一言です。そし
て、今日の説教は、この一言を巡って展開されていくこととなります。
 なぜ、ローマの教会のメンバーと会うより前にユダヤ人の指導者と会うので
しょうか。振り返ってみると、囚人として護送されてきたパウロに対し、ローマ
の教会は出会いを待ち焦がれていた節があります。それなのに、です。ところ
で、ローマの教会はどのような状況だったのでしょうか。

(この項、続く)



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