2018年10月14日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第105回「使徒言行録27章21〜26節」
(15/1/4)(その2)
(承前)

 そんな時、パウロが人々の真ん中に立ち、人々を励ます演説をした、という
のが、今日の場面です。大変に「格好いい」場面です。しかし、私たちがこの
場面を正しく、理解するためには、思い込みによる誤解を取り除く必要があり
ます。これが今日の一つ目のポイントです。
 今でこそ、パウロは、教会の使徒、キリスト教の完成者、あるいは聖人とし
て、世界中だれ一人知らない人はいない人物です。ですから、危機において説
教をして人々を励まして、いやそうすることを期待され、それを成し遂げて当
然と見做される人物です。特にクリスチャンにとっては。
 しかし、この船の中では、パウロとアリスタルコと、そしてルカ以外には、
クリスチャンはいません。だれも、キリストの「キ」の字も知らないでしょう。
パウロに活躍を期待するクリスチャンはいないも同然、ということです。しか
も、彼は、囚人というこの船の中で一番身分の低い立場にあります。百人隊長
や船主が、皆を励ます演説をするというのならともかく、囚人にして、しかも、
大多数の者からすれば「異教徒」の者が皆を励ます演説をするとは、一体どう
いうことなのでしょうか。
 しかし、私たちは、「似た場面」を阪神淡路大震災の時に目の当たりにしま
した。多くの死者を出し、命からがら避難所、当時は行政の用意もなく、人々
が公園などで、自ら避難所をつくらざるを得ませんでした、へ逃げてきた人た
ち、これから一体どうしたらよいのだろうか、と途方に暮れている人たちを前
にして、突然リーダーが現れ、食糧調達、病者の看護、生活必需品の手配、行
政との交渉まで見事に仕切るようになるのです。それまでは、一見うだつが上
がらなかったように見えた若者が、です。見事なものでした。
 その後の震災においては、阪神淡路で学習した行政が先回りするようになり
ましたが、こうして、一人の人の持つ、隠された能力が危機に際して発揮され
ることをわたしたちは知ったのでした。パウロもまさにそれだったのだ、と思
われます。パウロ自身に権威があったのではなく、神がパウロを用いられたの
です。パウロの演説を聞きましょう。

21節後半〜26節「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出してい
なければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません。しかし今、あな
たがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人と
して命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨
夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは
皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、
あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。私
は神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わ
たしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」

 パウロはまず、人々の心に最もしみとおる言葉をはきます。それは反省の要
求です。間違いの元は、どこにあるのでしょうか。それは、人々が船主や船長
を始めとするクルーを信じ、パウロの伝えた、昔からの言い伝えを信じなかっ
たことだったのではないでしょうか。災害に遭って初めて分かったこと、それ
は、今までの自分の価値観が間違っていたことです。パウロは、そこを衝くの
です。
 阪神淡路の時も、多くの人がこの出来事に出会って、価値観がかわりました、
とおっしゃっています。
 「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こ
んな危険や損失を避けられたに違いありません。」この一言は、一囚人に過ぎ
ないパウロの言葉であったにも関わらず、人々の心を刺し貫いたのではないで
しょうか。
 しかし、では、どうしたらよいのか。人々は、その答えを求めて、パウロを
じっと見つめたことでしょう。
 22節以降にパウロの答えがありますが、それに入る前に、危機の時、真剣に
求める人々の心をしばしば弄ぶのは、インチキ宗教、似非宗教であることを忘
れてはなりません。パウロの説くところは、それと同じなのではないでしょう
か。違うとしたら、どこが違うのでしょうか。
 パウロが、まず口に出した言葉は、「船は失うが、皆さんのうちだれ一人と
して命を失う者はない」、言い換えれば、「神は助けてくださる」ということ
でした。一見心強い、そして嬉しい言葉です。しかし、このような言葉は、ど
んなインチキ宗教、似非宗教、でも言っていることなのではないでしょうか。
これだけでは信用できません。その根拠が問われまする
 パウロの第2弾は、実に意外な、そして、考えようによれば、実に頼りない
ものでした。それは、「パウロは囚人として、皇帝の前に立つことになってい
る。これから航海が頓挫してはそれは達成できないので、結局航海は成功する
はずだ」というものでした。

(この項、更に続く)



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