2018年10月07日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第105回「使徒言行録27章21〜26節」
(15/1/4)(その1)

21〜26節「人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼ら
の中に立って言った。『皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出
していなければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません。しかし今、
あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ
一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天
使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。「パウロ、恐れるな。あ
なたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべて
の者を、あなたに任せてくださったのだ。」ですから、皆さん、元気を出しな
さい。私は神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになり
ます。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。』」

 先週から始まりました漂流物語の続きです。
甘い考えをもとに、クレタ島の「良い港」と言うところを、せっかく「良い港」
なのに出航しました。
 予測どおり、「エウラキロン」の襲撃を受けました。しかしながら、それは
船乗りたちも承知の上でしたので、流されるに任せ、カウダという小島の陰に
来て、小舟を引き上げたり、船に綱を巻き付けたり、風と波に対する臨戦態勢
を整えました。ここまでは理にかなった対応です。
 ところが、ここで人々、ということは主として船乗りでしょうが、「シル
ティスの浅瀬」に乗り上げることを畏れ始めました。浅瀬に乗り上げることは
一般的に恐ろしいことです。私たちはどこかで、浅瀬に乗り上げて動けなく
なった船が、軒並み並ぶ「船の墓場」のような場面を見たことがあるのではな
いでしょうか。
 しかし、「シルティスの浅瀬」は、現在地からは375マイル、600キロ以上も
離れています。東京から大阪よりもっと遠くにあるのです。何をそんなに畏れ
たのか?しかも浅瀬に、遠くの浅瀬に乗り上げることを畏れたら、「流されて
行かないように」すべきなのに、彼らは、「海錨を降ろし、流されるに任せた」
というのです。
 わたしは、海錨というものを知りませんで、錨の一種としてしか認識してい
ませんでしたので、「彼らも一応は流されないように努力したのだ」と思って
いました。しかし、先週ある方から、「海錨とは、シーアンカーとも言い、流
されるための道具なのですよ」というお教えをいただきました。その海錨を彼
らがおろしたのだ、とすると、彼らは流されないための努力は全くしなかった
ことになります。
 これはますますヘンです。
単に乗り上げを恐れたなら、彼らは乗り上げない努力をすべきです。しかし全
然していません。むしろ、乗り上げるように努力しています。
 なぜ、一見、彼らは乗り上げるためのように見える努力をしたのか。
それは、「シルティスの浅瀬」への乗り上げが、「神々の怒り」と関係してい
たからです。で、彼らは、「神々の怒り」を鎮めるための努力をしたのです。
 さらに、皆様に先週お知らせしたのは、「海錨」と訳されている語の原語は
「スケウオス」という語で、実は何を指すのかわかっていない、ということで
す。海錨というのは一つの説(おそらく間違った説)にしか過ぎません。
 すなわち、「神々の怒り」の原因となる物、「スケウオス」を捨てたのです。
「スケウオス」は、海錨でもなく、船具でもなく、私は、エゼキエル書16:17
に従って、「いかがわしい人形」であったのではないか、と考えています。こ
こまでは、先週いらっしゃらなかった方には、お話ししておかないと伝わらな
いことですので、繰り返しになりますが、あえてお話しいたしました。
 「スケウオス」を投げ捨てたことが効いたのでしょう、「シルティスの浅瀬」
に乗り上げる危険は脱したようです。これ以後、「シルティスの浅瀬」は出て
きません。人々は、「ほっ」と胸をなでおろしたことでしょう。しかし、20節
「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、」どこにた
どり着くことができるか、については、何の見通しも立ってはいませんでした。
そこで、今日の物語につながるのです。
 つまり、危機は乗り越えたのだが、先の見通しが立たない状況です。元住吉
教会のような。

21節前半「人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼ら
の中に立って言った。」

 「長い間」という表現は原文にはありません。原文には、「多くの人が断食
をし」と記してあるだけです。よって、ここは「(長い間漂流して)食糧が尽
きて、」という意味ではありません。多くの人が船酔いで食べられなかったの
です。
 わたしも、冬の五島灘で、大しけの日に奈留島から生月島への航路に乗って、
とんでもない船酔いをし、胃の中にすでに吐き出すものがなくなってしまって、
胃液を吐き出す苦しみを味わったことがあります。船に乗っていて、一番つら
い時です。

(この項、続く)



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