2018年09月23日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第104回「使徒言行録27章13〜20節」
(14/12/28)(その1)
13〜20節「ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運
ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウ
ラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。船はそれに巻き
込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるに
まかせた。やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟を
しっかりと引き寄せることができた。小舟を船に引き上げてから、船体には綱
を巻き付け、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨をおろし、流され
るにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷
を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日
もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望み
は全く消えうせようとしていた。」
久しぶりに、と言うか、わずか二週間ぶりですが、講解説教に戻って来まし
た。講解説教はいいですね。ほっとしますね。
さて、前回はどうでしたかね。今回もそこから始めなければなりません。
パウロのローマ行の航海の途中の出来事です。パウロは囚人ではありますが、
それなりに自由をも与えられ、航海は無事、順調に進んでいました。が、雲行
きが怪しくなってきたところから、前回の物語が始まりました。
まだ、嵐が起こった、襲ってきたわけではありません。が、ユダヤ教の祝日、
断食日を過ぎたことから、船内の内部対立が表面化します。
ユダヤ教徒は、「断食日を過ぎたら航海は危険」と言い伝えられており、そ
の言い伝えを守ろうとしました。パウロは、今はユダヤ教徒であるか、と言え
ば、微妙なところですが、その言い伝えを皆に伝えました。
しかし、船内の大多数は非ユダヤ教徒。ユダヤ教の言い伝えなど知りません。
その上、皇帝クラウディウスのとった優遇処置により、ローマでは、冬の危険
な航海が、その危険を乗り越えられれば、多くの利得につながったという背景
もあって、船内の結論は、「航海継続」となりました。
果たしてどうなるか、この決定が吉と出るか、凶と出るか、今日の物語はそ
こから始まるのであります。
13節「ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと
考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。」
非ユダヤ教徒の船乗りたちの声が聞こえてきそうです。「ほら、見たことか。
南からの、航海に最適な風が吹いて来たではないか。ユダヤ教徒どもは、航海
のことなど何も知らないくせに、昔から言い伝えだからと、出港停止を主張す
るとは、とんでもない輩だ。」
この非ユダヤ教徒の船乗りたちの声は、単なる想像ではありません。「人々
は望みどおりに事が運ぶと考えて」の部分、実は「未来完了形」という日本語
では想像もつかない時制が使われているのです。あえて、説明つきで日本語に
すると、「人々は、望みどおりに事が運んで、そして完成した、もちろん先の
ことだけれど、その時には100パーセントそうなっている、と考えて」となり
ます。
何と甘い考えなのでしょうか。しかし、非ユダヤ教徒、と言うよりは、ここ
では「神を畏れぬ者」とくくった方がよろしいか、と思うのですが、は、必ず、
こういう甘い考えを抱くのです。パウロは、その傲慢さと直面せざるを得ませ
んでした。
しかし、事は人々の甘い考えのとおりにはなりませんでした。
14〜16節「しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から
吹き降ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができな
かったので、わたしたちは流されるにまかせた。やがて、カウダという小島の
陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。」
今、お読みしたとおりです。「島の方から吹き降ろして」と正確に訳されて
いるように、クレタ島は、あんなに小さな島でありながら、標高2,500メート
ルを超える「アイダ山」という高山があり、そこから谷を伝って吹き降ろして
くる「ステディ・ゲイル」、つまり、そこではいつも強風が吹いているところ
があり、船はそれに巻き込まれてしまった、という訳です。
「なんだ、知ってんじゃん」という感じです。「エウラキロン」という、ラ
テン語とギリシア語の合成の名前がついているくらいですから、ギリシア・
ローマ世界で広く知れ渡った暴風にぶつかってしまったわけです。
えらい事態ですが、ここは帆をたたんで流れに任せれば何とかしのげる。た
だ問題は船の後ろに引いている上陸用の小舟で、これが嵐で切り離されかねな
い。そこで、カウダ(現在はガウデスなど)という名の、クレタの南にある小島
の陰で「小舟をしっかりと引き寄せることができた」と、記されています。
「エウラキロン」を知っていたはずなのに、なぜ突っ込んだのか、私は、
「何とか乗り越えることはできる」と船乗りたちが考えていたからだ、と思い
ます。対策もきちんとしていました。ここまでだったら、船乗りの技術で何と
かできることでした。甘い考えではありません。
(この項、続く)
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