2018年09月09日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第103回「使徒言行録27章9〜12節」
(14/12/14)(その1)
9〜12節「かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危
険であった。それで、パウロは人々に警告した。『みなさん、わたしの見ると
ころでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と
多大の損失とをもたらすことになります。』しかし、百人隊長は、パウロの
言った事よりも、船長や船主の方を信用した。この港は冬を越すのに適してい
なかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならば、
クレタ島で南西と北西に面しているフェニックス港に行き、そこで冬を過ごす
ことになった。」
先週から、パウロのローマ行が始まりました。
私たち読者は、「おっ。パウロの異邦人伝道も新しい段階に入ったか」と速断
しがちですが、そうではありません。使徒言行録の著者は、これを「大きな区
切り」とは見ておりません。
前回、使徒言行録における「そのころ(原語で「エン・タイス・ヘーメライ
ス・タウタイス)」という語の用法から説明いたしましたように、異邦人教会
とユダヤ人教会が対等の立場で合い携えていく時代の出来事の一環として捉え
ております。すなわち、ユダヤ教徒との葛藤が一応の解決を見て、「さあ、こ
れからは異邦人だ」ではなく、ユダヤ教徒が、異邦人信徒を受け入れるという
課題は残しつつ、異邦人伝道の頂点へ向かっていく、ということであります。
このことを象徴するかのように、パウロは、未だにユダヤ教徒にけしかけら
れた騒乱誘発罪の「未決囚」のままです。パウロはユダヤ人の一人として咎を
問われています。そして、この咎については、ローマとユダヤは対立関係にあ
ります。ローマは、「無罪」と見做しているが、ユダヤはしつこく追い回して
いるのです。
ローマが「無罪」と見做している、と言うことのゆえに、つまり重大犯罪人
と考えていない、という状況の下で、彼は寛大に扱われてきました。しかし、
ローマはパウロをあくまでも「ユダヤ人の一人」として扱っていることを忘れ
てはなりません。
航海そのものは、リキア州のミラまでは順調でした。
しかし、「ここで、百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つ
けて、わたしたちをそれに、乗り込ませた。(6節)」とありますように、アレ
クサンドリア船籍の船に乗り換えてから、事は順調には行かなくなりました。
幾日もかかってやっとのことで、クニドス港に近づきました。が、着岸できな
いのです。仕方なく、クレタ島の北岸を通るコースを目指すこととなりました。
しかし、それもさえぎられ、サルモネ岬を回って南側に回ってしまいました。
ところが、クレタ島の南側は、北側と違って、適当な港がありません。這う
這うの体で「良い港」と呼ばれる港(本当にこういう名の港があるそうです)
にたどり着きました。そこは、西ないし南西の風を防ぐシェルターのように
なっているそうです。
そこまでが、前回のところです。
航海が順調に行っている間は、これは航海には限りませんが、人間関係はバラ
ンスを取って、平和を維持することができます。しかし、危機がやって来ると、
秘められていた、一応抑えられていた内部対立が表面化し、外の危機ばかりで
なく、中の対立が始まることとなります。
この船の中は、今、内部対立が始まった状況にありました。9節に「かなり
の時がたって」とありますが、「かなりの」と訳されている「ヒカノス」とい
う語は、基本的には「大量の」という意味を持った語です。「ヒカノス・クロ
ノス(かなりの時)」という語を聞くと、ギリシア語に詳しい人は、「カイロス」
と違って「クロノス」は単純に時間の流れを指しますから、「カイサリアでの
出航から?」あるいは「ミラを出航してから?」と考えるようです。本当にた
くさんの時間のことを指すのです。私は、「良い港(カルース・リメナス)」に
到着してからだ、と考えていますが、対立が醸成され、イライラが対立にまで
発展するに十分な時間がたってから、と言う意味です。これからの航海の方針
について、意見の対立が表面化しました。
9〜10節「かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危
険であった。それで、パウロは人々に警告した。『みなさん、わたしの見ると
ころでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と
多大の損失とをもたらすことになります。』」
船内の勢力関係、対立構図を明らかにしておきましょう。
(この項、続く)
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