2018年09月02日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第102回「使徒言行録27章1〜8節」
(14/12/7)(その2)
(承前)

 さて、どのように出航がなされ、そして、どのような経過を経て、ローマへ
向かうこととなったのか、順に見ていくことといたしましょう。

1節「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロ
と他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡され
た。」

 これから、この時代の異邦人伝道の山場、ローマへ向かう訳ですが、パウロ
はあいにく囚人という立場です。それで、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスと
いう者に引き渡されることとなりました。と言うことは、100人の兵士の監
視がついた、ということです。
 大変な監視だ、と私たちは思いますが、当時のローマの法制を知る人は、他
にも囚人がいる中で、「もう一人補助の百人隊長がつかなかったのが不思議だ」
と言います。
 なぜでしょうか。それは、パウロも含め、この時護送される囚人たちが、重
大犯罪人ではなかったから、と考えるのが一番自然な答えなのではないでしょ
うか。つまり、ローマに、ただ処刑されるために護送されるような囚人はいな
かった、ということです。よって、以下の節に見られるような、寛大な処置が
可能となりました。

2〜3節「わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、
アドラミティオン港の船に乗って出航した。テサロニケ出身のマケドニア人ア
リスタルコも一緒であった。翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切
に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。」

 もう皆様、お気づきのことでしょう。27:1から使徒言行録の記述は、「わた
したち(一人称複数)」に替わり、この旅に使徒言行録の著者も加わっていた
ことが知れるのです。パウロのエルサレム行に同行し、エルサレム教会までは
同行していましたが、それ以後(21:17)、騒動の中で雲隠れしてしまってい
ました。
 囚人として、同行したのでしょうか。騒動に関与していない「わたし」が囚
人であるわけがありません。この旅は、囚人の友達も一緒に旅することができ
るほど寛容なものだったのです。よって3節のように、寄港地での伝道活動も
可能だったのです。
 テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコについてもそうです。この人が
使使徒言行録に登場するのは、気づいていた方もいるかも知れませんが3度目
です。19:29では、エフェソでパウロと一緒に捕らえられました。20:4では、
エルサレムに向かうパウロに同行しました。エルサレムまで同行したのか、同
行したとして、エルサレムでの騒動でどうなったのか、は書かれていませんの
で、全く分かりません。ただ、この人の場合には、コロサイ4:10で、「パウロ
と獄を共にした」と述べているので、囚人としての同行であったのかもしれま
せん。
 束縛を受けつつも、伝道が可能という、象徴的な旅でした。

4〜8節「そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、キ
リキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。ここで百
人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそ
れに、乗り込ませた。幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に
近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ
島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」
と呼ばれる所に着いた。」
航海そのものは、困難を極めます。
 私たちは当時の航海を知りませんし、少なくとも体験したことは全くありま
せんから、想像するのみですが、少し想像するだけでもその困難さはうかがい
知れます。
 まず、囚人護送の専用船がない、ということです。ほとんど信じがたいこと
です。100人の兵士と囚人たちと関係者が、乗せてくれる船を探し回るわけで
すから、船を見つけるまでが大変です。
 しかも、やっと乗り込んだとして、その船は、風だけが頼り、時間を気にせ
ず、セーリングを楽しむならともかく、一体どうやって目的地にたどり着くこ
とができるのでしょうか。と言う状況です。
 案の定、本来なら、クレタ島の北を回るべきところ、寄港地のほとんどない
南へ回ってしまい、難儀しました。「良い港」と呼ばれる港(本当にこういう
名の港があるそうです)に這う這うの体でたどり着きました。そこは、西ない
し南西の風を防ぐシェルターのようになっているそうです。
 しかし、そこでは、クレタではティトゥスが教会を形成していたはずなのに
(ティトゥス1:5)、パウロは立ち寄ることさえ許されませんでした。
 大きな使命を帯びつつも、伝道もままならず、パウロそして、一行は大いな
る不安を抱いていたのではないでしょうか。投げ出したくなる状況ですが、パ
ウロは、祈ることができました。祈りのうちに彼は道を見いだしていました。
そしてそれは、神のご計画に裏打ちされていたのです。

(この項、完)



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