2018年08月19日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第101回「使徒言行録26章30〜32節」
(14/11/30)(その2)(承前)

 結局、パウロに対して、どのような措置が取られたのでしょうか、というこ
とです。

30節「そこで、王が立ち上がり、総督もベルニケや陪席の者も立ち上がった。」

 裁判の場合でしたら、裁判長が立ち上がる、というのは、「裁判終結」の合
図ですが、ここはただの「話し合い」ですから、「話し合い」の終了の合図で
す。
 なぜか、アグリッパ王が主導権を握りました。この会そのものはフェストゥ
ス主催であつたにも拘わらず。アグリッパ王はこの会の始まりにおいては、受
け身であったにも拘わらず、終わりには主体的に動いたのです。私は、アグ
リッパ王がパウロの話に乗り気になったしるし、と受け止めていますが、どう
でしょうか。著者のルカも、ここでアグリッパ王がキリスト教をほとんど受け
入れた、という判断をしていることと思います。
 そして、31節「彼らは退場してから、『あの男は、死刑や投獄にあたるよう
なことは何もしていない』と話し合った。」のです。
 上記のような次第から、アグリッパ王が、ユダヤ教徒の立場を超えて、この
ような判断に至ったことは十分に考えられます。なぜなら、パウロに対する騒
乱罪ないしは騒乱誘発罪による告発は、ユダヤ教徒のパウロに対する反感、そ
れゆえの言いがかりに端を発しているからです。反感が解消されれば、告発自
体雲散霧消するはずだからです。
 しかし、フェストゥスが、このような判断に心から至ったかどうか、は大変
に微妙です。確かに、建前としては、そして、ユダヤ教徒に対する威嚇の必要
上から、パウロ無罪の判断をすでに下しました。(25:25)しかし、話を聞く
うちにだんだん、いや、決定的に、フェストゥスの思いは揺らいできたのでは
ないでしょうか。
 ここは書かれていないので推測にすぎませんが、フェストゥスは、将来の
ローマ帝国内のキリスト教の働きについて、かなりの危機感を抱いたのではな
いか、と私は思うのですが、いかがでしょうか。「信教の自由」の許容できる
範囲であるかどうか、怪しい、ということです。… そしてフェストゥスの危
惧は現実のものとなり、300年に亘る、執拗なローマ帝国によるキリスト教弾
圧へと結果するのです。
 しかし、使徒言行録の著者は、その予感はあったでしょう、と私は思います
が、有能な歴史家ですから、しかし、その危惧、不安には、チャックをします。
封じ込めます。そして「彼ら」と、パウロの無罪を信じた」つまり、キリスト
教に好意を示した人のリストの中に、強引にフェストゥスも入れてしまうので
す。
 もう皆様お気づきでしょう。25:13〜22と同じように、ルカは、見聞きする
ことが絶対にできたはずのないことを書いています。フェストゥスは実際には、
渋い顔をしてわずかにうなずいたのかもしれないし、なにも言わなかったかも
知れません。アグリッパが本心から「パウロが無罪である」、ここの文脈では
「私はキリスト教を信じる」と述べた(思った?)のに対して、賛成はしな
かったはずです。
 さて、それではパウロに対する最終判断はどのようなものだったのでしょう
か。

32節「アグリッパ王はフェストゥスに、『あの男は皇帝に上訴さえしていなけ
れば、釈放してもらえただろう』と言った。」

 こうして、裁判の結果ではありませんが、アグリッパ王は、パウロを釈放す
べし、という判断に達しました。しかし、釈放ができない、その理由が「パウ
ロの上訴にある」という認識は実は、アグリッパ王の無知から来たものでした。

 実は、当時のローマの法制では、囚人が皇帝に上訴した後も、総督は自分の
判断によって、囚人を無罪放免にすることができたのです。もちろん、これは、
正式のルートではなく、皇帝と総督との信頼関係によってのものであったので
すが、フェストゥスはそれができる立場にあったのです。
 ですから、アグリッパではなく、フェストゥスが、パウロが本当に無罪であ
る、という判断に到達したのだとしたら、「無罪放免手続き」を当然とったは
ずなのです。
 取りませんでした。パウロが上訴したせいではありません。フェストゥスの
悪意です。フェストゥスは、ここでローマ帝国としては、パウロを断罪する決
意を固めたのです。自身で断罪しなかったのは、ユダヤ人への対抗上だけです。
 私たちが、32節から、アグリッパ王とともに、フェストゥスもパウロに心か
らなる好意を持った、などと受け止めたら、とんでもない読み違いです。
 フェストゥスは、将来のローマ帝国の弾圧の先取りとして、「釈放しない」
という形でパウロを断罪したのです。
 アグリッパ王の好感で、キリスト教は、ユダヤ教の悪意は乗り越えた、とル
カは考えています。しかし、それは同時に、ローマ帝国による、ユダヤ教の弾
圧とは比べ物にならないくらいの大弾圧の始まり、でもありました。
 一つの困難の乗り越えはより大きな困難の始まりでもあります。
クリスチャンにとってはつらいことでありますが、次の困難と闘っていかねば
なりません。クリスチャンの道は、そういう意味で、困難の連続です。

(この項、完)



(C)2001-2018 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.