2018年07月29日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第100回「使徒言行録26章24〜29節」
(14/11/23)(その1)

24〜29節「パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。『パ
ウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。』パウロ
は言った。『フェストゥス閣下、私は頭がおかしいわけではありません。真実
で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存
じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こった
のではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信して
おります。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられ
ることと思います。』アグリッパはパウロに言った。『短い時間でわたしを説
き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。』パウロは言った。『短い時
間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくだ
さるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このよう
に鎖につながれることは別ですが。』」

 今日のところは、26:1から始まるパウロのお話し(弁明ではありません)
のまとめの部分です。ですから、繰り返しにはなりますが、枠組みについての
復習は外すわけにはいきません。
 騒乱罪ないしは騒乱誘発罪で逮捕され、裁判を受けているパウロです。ユダ
ヤ人に対して「弱み」を持つ総督フェリクスの許では放っておかれましたが、
替わって総督に就任したフェストゥスの代になって、上訴が認められ、カイサ
リアでローマ護送の時を待っています。
 フェストゥスは、自分で裁判をする権利を放棄したのですから、ローマへパ
ウロを護送するのが彼の唯一の仕事であって、フェストゥスには、パウロを未
決囚として取り扱う資格も権限もありません。なのに、パウロを見世物にした、
というのが、現在の場面です。
 フェストゥスは、ユダヤ人から敵視されているパウロを引き出すことによっ
て、ユダヤ人の面子を立てました。しかし、もう一方で、「パウロは無罪であ
る」と宣言することによって、ユダヤ人に「言う通りにはならないぞ」と脅し、
ブラフをかけたのです。
 アグリッパ王はこの脅しにどのように対応したのでしょうか。何と、フェス
トゥスにすり寄ったのです。それで、ユダヤ人にとっては天敵であるはずのパ
ウロに、ユダヤ人の王という立場にありながら、パウロの言い分を聞く、とい
うスタンスをとったのです。
 よって、パウロのここでのお話は、アグリッパ王への説得、と言うことがで
きます。
 内容的には、9:1〜19でパウロの体験として起こったことが、つまり回心
体験が、「回心前」、「回心」、「回心後」の三部構成できちんと述べられ
ています。
 しかし、ここではアグリッパ王を意識し、22節、「ところで、私は神からの
助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをして
きましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ
述べていません。」とあるごとく、ユダヤ教徒と自分が同じ立ち位置にあるこ
とを強調し、連帯を求めたのです。
 とは言え、最後を、ユダヤ教ではタブーであった「復活の教理」で結ぶこと
により、ユダヤ教を超えた、新しい救いの時代の到来を告げたのでした。「復
活の教理」とはイエス・キリストの十字架の贖いによる「すべての人の」復活
の希望です。
 この「復活の教理」に対して、アグリッパ王ではなく、フェストゥスが敏感
に反応するところから、今日のテキストが始まります。

24節「パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。『パウロ、
お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。』」

 使徒言行録の記述によると、パウロの最大の論敵はユダヤ人であったように、
記されています。しかし、事実はそうでありません。パウロが牧会上もっとも
苦労したのは、何と言ってもコリント教会の異邦人信徒です。度々訪問し、
「涙の手紙」と言われる手紙まで書いていることは、コリントの信徒への手紙
から明らかです。その苦労の最大の原因は、人間関係の行き違いといった表面
的なことではなく、コリント教会の異邦人信徒が、旧約聖書の世界観を共有し
ていなかったところにあるのではないでしょうか。
 ギリシア人は、体のよみがえりではなく、霊魂不滅の世界に生きています。
「体」とは、そもそも汚らわしいもので、霊魂は肉体の束縛を免れることを希
求しているのです。そんな彼らから見ると、「体のよみがえり」を求めるキリ
スト教徒は、そしてユダヤ教徒も、そのことはあったらいいな、とは思いつつ
も、「それは、現実には無理」と思っているだけで、ギリシア人から見れば同
類なのですが、「愚か者(コリント一1:24)」にしか見えないのです。

(この項、続く)



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